いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
新約聖書のヨハネの手紙一 第1章5節から7節に、こう記されています。「わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」
ヨハネは、イエス様から聞いた教え、「神は光であり、神には闇が全くない」という教えを伝えています。ここでの「光」と「闇」は、象徴的な意味を持っています。「光」は善を、「闇」は悪を意味しています。完全な善である神様との交わりに生きる者とは、どのような者なのでしょうか。
ヨハネは、悪を行っていながら、神様との交わりを持っていると言う者は、偽り者であると記します。それでは、悪を行ってしまう私たち人間にとって、神様との交わりに生きること、光の中を歩むこととは、どのようなことなのでしょうか。それは、「互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められ」ることであるのです。
教会の交わりに加わって、御子イエス・キリストの十字架の血によって罪から清められ、神様との交わりに生きるとき、私たちは光の中を歩んでいると言えるのです。