いかがお過ごしですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
新約聖書のヨハネの手紙一 第1章1節と2節に、こう記されています。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」
ヨハネたちが伝える、聞いたもの、目でみたもの、よく見て、手で触れた「命の言」とは、「イエス・キリスト」のことです。ヨハネは、イエス・キリストのことを、「初めからあったもの」と記します。この「初め」は、神様が天と地を造られる前の永遠の次元を指しています。神様が天と地を造られる前から、イエス・キリストは、神様と共におられる子なる神であるのです。すべてのものを造られた子なる神が、聖霊によって処女マリアの胎に宿り、私たちと同じ人となってくださいました。
この手紙の宛先である教会には、イエス・キリストが、人となって来られたことを否定する者たちがいました。彼らは、イエス・キリストが純粋な霊であり、人となったように見えただけであると主張していたのです。しかし、使徒ヨハネは、イエス・キリストの教えを耳で聞き、その力ある業を目で見て、そのお体に手で触れたのです。イエス・キリストは、まことの神でありつつ、まことの人となられた御方であるのです。