おはようございます。筑波みことば教会の朴徹です。
新約聖書ローマの信徒への手紙14章8節、9節にこうあります。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」
ここに、「わたしたちは、主のために生き、主のために死ぬ」とありました。しかし、どうして私たちは、主のために生き、また、死ななければならないのでしょうか。このことを考えていく上で、重要なヒントが、その続きの文章に記されています。「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」という一文です。
主イエス・キリストが死なれた。それは、だれのためだったかと言いますと、過去、現在、未来に生きる私たちすべての人間のためでした。私たちがこれまで犯してきた数えきれないほどの罪を赦し、生まれ変わらせ、新しい人生を歩めるようにと、イエス様は十字架にかかられ、ご自分の命を自らささげられました。そのこと抜きに、「主のために生き、主のために死ぬ」ということを理解することはできないのです。
まず先に、イエス様がこの私のために死んでくださった、その恵みに感謝して、今度は自分も死ぬ覚悟で、イエス様の愛に応えて生きる。私の生活のすべてにおいて、私のために十字架にかかり、罪と死の滅びから救ってくださったイエス様のために生きる。それが、「主のために、生き、主のために死ぬ」ということなのです。