いかがお過ごしでしょうか。東京教会の野島邦夫です。
イエスの十二弟子の中で、名が広く知られているのは、ペトロ、ヨハネ、そして別の意味で、イスカリオテのユダでしょう。別の意味と言っても、イエスを裏切って十字架の死に追いやりましたから、悪い意味です。今回のシリーズでは、このユダを巡って考えています。
ユダは、自分の欲望のために裏切りを決意し、ついに、郊外の祈りの場で決行します。イエスを狙っている敵たちを先導してやって来ました。抵抗する弟子もいましたが、イエスは抗わず、言われました、「父なる神にお願いして彼らをすぐにも全滅できるが、そうしない」(マタイ26:53-54参照)と。イエスはご自分に、自分を守る力があることを知っておられます。しかし、それを使わないと言って、そうする自由を放棄しておられます。
続いてその理由として、神の予言は実現しなくてはならないから、と言われます。この予言とは、「裏切る弟子がいる」という詩編の言葉(詩編41:10参照)、さらに「人の罪を負って、僕は命を取られる」というイザヤ書の言葉(イザヤ53章参照)です。
イエスは、本心からの自由な決意によってこうされました。ただ自由な決意といっても、ユダとは違い、自分の欲望を満たすためではなく、ただ神の言葉に従いたいという思いからです。そして、神の意志は貫かれます。私たちも喜んで神のことばに生きようとする時、神の意志は貫かれ、私たちは、神の救いの計画実現に加わっています。