ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
聖書では、主イエス・キリストが、十字架の後、3日目に死に勝利して復活した、と教えます。その知らせを聞いても、最初は、イエス様の弟子たちも信じられませんでした。本当は、知らせを聞いて、信じるべきだったのです。そんな弟子たちに、復活したイエス様が現れてくださり、信じることができるようになりました。
知らせを聞いても、見るまでは信じないと、一番疑ったトマスに対しても、イエス様は言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)と。そのように、見ないでも知らせを聞いて信じる人は、幸いなのです。
ところで、イエス・キリストの復活を信じるということは、ただ歴史上の出来事として、それを信じるというだけではありません。復活したということは、今も生きておられるということです。目に見えませんが、生きて働いておられるということです。キリスト教は、その生きて働いておられるイエス様によって、今救われ、今導かれ、今守られて、歩むということです。神様であり、人でもあるイエス・キリストに、今助けられながら歩むということです。
その生きて働いておられるイエス様とつながる方法が、信じるということです、信仰ということです。イエス様の方は言われます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイによる福音書28章20節です。イエス様がいつも一緒にいる生活だからこそ、大丈夫なのです。信じていきませんか。