ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
新約聖書マルコによる福音書9章24節に、興味深い言葉があります。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」です。何か矛盾した言い方のように聞こえます。
これは、自分の子供をイエス様に救ってもらおうとした父親の話です。父親は、イエス様に言います。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」(マルコ9:22)と。それに対して、イエス様が言われます。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコ9:23)その言葉を聞いて、すぐに父親が叫んだのが、最初の言葉です。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(マルコ9:24)
たとえば、キリスト教のことを教えられて、信じるように勧められると、人によっては、一生懸命信じるように努力するとか、力んでしまうとか、そういうことがあります。しかし、疑いを持っていた父親は、イエス様から指摘されたとき、一生懸命信じるように努力したのではありません。疑いを持つ、あるいは信仰がない、そういう自分をそのままイエス様に委ねる、あずける、お任せする、ということをしたのです。信仰のないわたしを、そのままで、「イエス様、お助けください」と、イエス様に委ねたのです。それが、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」という言葉になったのです。
キリスト教は、自力で救われるのではない、イエス様によって救われるということです。信仰さえ自力ではないとも言えます。信じきれない自分をそのままイエス様にお任せし、委ねてしまうのです。イエス様が、そういう者を救ってくださるのです。