ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
信じることについて、客観的に信じることと主観的に信じること、という言い方をすることがあります。どういうことかというと、客観的に信じるとは、イエス・キリストが存在していたとか、聖書に書いてある通り奇跡を行ったり、人を救ったりしたとか、そういうことを事実として信じるということです。ちょうど、ニュースを信じるようなものです。
それに対して、主観的に信じるとは、他でもない自分をイエス様が救ってくださる、聖書のことは自分にかかわることだと、自分に結び付けて信じるということです。この両方があって、本当の信仰ということができます。
聖書の中には、本来なら、神様とはかかわれないと思われるような罪人や犯罪人、あるいは、外国人、実に様々な人々が、イエス様によって顧みられ、救われている様子が記されています。おそらく誰もが、自分に当てはまるような、似ている境遇の人を見つけることができるのではないでしょうか。そのように示しながら、聖書は勧めているのです。あなたも、主イエス・キリストを信じなさいと。
信じるとは、聖書に示されていることを自分のことだと認め、自分と結び付けることでもあります。かつて私は、イエス様は自分にはかかわってくださらないのではないか、と思っていた時期がありました。聖書を読んでいるうちに、そのようにためらう人のことも書いてあるのを見出しました。自分にかかわることが御心だと教えられました。
大胆に、イエス様が自分を顧みていると信じていきませんか。それが御心なのです。