ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
キリスト教は宗教なので、信じるかどうかということが問題になります。自然科学のように実験で証明できるものではありません。しかし、何も根拠がなくいたずらに信じるというのでもありません。
「聖書」という神様の自己紹介の書物があります。そこに記されている言葉を通して、神様の存在や働きについて知ることができます。ところが、その言葉を信じ切ることができず、どうしても、何か証拠やしるしを求めてしまいがちになります。
しかし、イエス様の時代も、イエス様が、様々な奇跡、しるしを行っても、信じない人は、やはり信じなかったのです。反対に、偽物の宗教家も、人々を驚かすようなしるしを行って、人を惑わすこともありました。ですから、しるしではなく、あらためて、聖書の言葉を本当のことだと信じていきたいものです。信じると、ますます神様のお働きが分かってくるようになります。
19世紀のイギリスの偉大な説教者であった、スポルジョンという人が、次のように書いています。「キリストが『わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません』(ヨハネ6:37)と約束されたからには、キリストのもとに私たちが行くとき、退けられないことは確かだと信じるのです。イエスが、『わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます』(ヨハネ4:14)と言っておられるのですから、そのとおり本当であると信じるのが信仰です。」(C.H.スポルジョン著・羽島明訳『ただ恵みによって』)
聖書の言葉を、これは本当のことなのだと信じることから始めてみませんか。