おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。大宮教会牧師の辻幸宏です。
聖書に、一人の男性が、追いはぎに襲われ、すべての持ち物が盗まれ、半殺しにされたと語られています。(ルカ10:30参照)
このとき、ユダヤ人である祭司もレビ人も、彼を見つけたにも関わらず、別の道を通り、知らんぷりをしました。しかしこのとき、ユダヤ人たちからは罪人だと非難されていた、サマリア人が通りかかったとき、「そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱し」(ルカ10:33-34)ました。そして、彼は、宿屋の主人に、男性の宿代・治療費も出して、旅を続けました。
隣人・となりびとのことを思い、寄り添うことは、このように、時として時間がとられ、費用もかかり、そして面倒くさいことです。しかし、私たちが、周囲の人たち、隣人を愛そうとするとき、こうした面倒くささこそが求められることを、聖書は語ります。
オンラインの時代だからこそ、愛をもって行う面倒くさいことも、大切にすることが求められています。