おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
「誓いをたてる」「宣誓する」という言葉は、知っていても、実際日常生活の中で、人々を前にして誓いをたてる経験は、ほとんどないのではないかと思います。
キリスト教式の結婚式で夫婦の誓いをたてるとか、スポーツの大会で選手宣誓をするとか、せいぜいそれぐらいではないかと思います。裁判の証人尋問で宣誓を求められる経験をした人は、ほとんどいないでしょう。言い換えれば、誓いを立てるということは、そう度々経験することがないくらい、重要なことだということです。
しかし、これに反して、自分の潔白や自分の言葉の正しさを相手に納得してもらおうとして、軽々しく、「誓ってもいい」などと口にすることがあります。そもそも、そんな言葉を口にしなければならないのは、相手から信用されていないからです。
イエス・キリストは、「一切誓いを立ててはならない。」(マタイ5:34)とおっしゃいます。もちろんここで語られているのは、軽々しい誓いのことです。イエス・キリストは、実現できない軽々しい誓いよりも、誠実な言葉を求めていらっしゃいます。これこそが、人間同士の、そして、神と人との関係の基礎だからです。
きょうのみ言葉「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」マタイによる福音書5章37節