あさのことば 2023年1月27日(金)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

杉山昌樹(上福岡教会牧師)

杉山昌樹(上福岡教会牧師)

メッセージ: 今助けて



 いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
 「神に祈る」ということは、必ずしもキリスト者だけのすることではありません。神社でお参りをする人、仏壇に手を合わせる人、そのほかにも、普段何も信仰していない人であっても、これは、という時には思わず、「神よ!」と心の中で叫んでしまうことがあるかもしれません。

 聖書には、イエスが、人の祈りの仕方について語っているたとえがあります(ルカ18:9-14参照)。そこに登場するのは、対照的な人たちです。一人は、普段から信仰熱心な人です。この場合には、今でいうところのユダヤ教徒になります。ユダヤ教には、律法という取り決めがあります。信仰熱心な人とは、ユダヤ教を極めた人、律法を固く守っている人ということです。

 この人がある時、神殿で、長々と祈りをささげていました。その中身は、自分がいかにユダヤ教の律法の通りに生活できているかを感謝する、というものでした。その隣で、普段ユダヤ教の教えに生きることができていないせいで、人々から馬鹿にされている人が祈っていました。

 先ほどの熱心な人は、横目でちらりと隣の人を見て、「ああ、この人のようでなくて感謝します」と祈りに付け加えました。一方、もう一人の馬鹿にされている人は一言、「神様、何にもできない私ですけども、どうか赦してください」とだけ祈りました。

 この二人の祈りのうち、どちらを神様が喜ばれたか、それはこのみじめな人だ、とイエスは結んでいます。神が喜ばれるのは、むき出しの「助けて」という祈りです。

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