ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
最近、社会の中で、弱さに苦しむ人たちが凶悪な事件を引き起こす事例が、跡を絶ちません。その背景には、何があるのでしょうか。
自分の問題は自分で解決するという「自助」が優先される社会では、自分で解決する手段が見つからない人にとっては、先に進むことができない、苦しみの社会でもあります。追い込まれて自暴自棄になり、犯罪へと走る前に、あるいは、自ら命を絶つ前に、社会としての「公助」の仕組みが必要であることを痛感します。
そのような社会に生きる私たちに、聖書は語ります。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(マルコ6:34)と。人間を創造された神は、神を知らずに、飼い主のいない羊のようにさまよっている一人ひとりを深く憐れみ、聖書を通して、神のところに戻って来なさいと招いておられます。
どうすれば、神のもとに戻れるのですか?それは、私たち一人ひとりの苦しみや問題の根底にある罪を、すべて引き受けて、十字架の上で償ってくださった、キリストの名を呼ぶことによってです。先に進むことができない苦しみの中で、「キリストよ、私の罪を取り去ってください」と叫ぶ時、キリストという神が、あなたの隣にいて、助けてくださるのです。