ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宣行です。
偶像とは何でしょうか。一般的には、人間が造った像のことです。人間は、自分の願望や理想を偶像に託し、それを神として拝みます。ですから、偶像は、人間の力以上のものではありません。
聖書は、偶像について次のように記しています。「彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き、据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない。」(イザヤ書46:7)と。偶像は、人に運んでもらわなければ、移動することも立つこともできません。しかし、生まれながらの人間は、偶像を拝む行為を止めることができないのです。これが、私たち人間の現実の姿です。
しかし、聖書は、私たち人間を創造された神がおられることを語ります。その神は、私たち人間がどこにいても、何をしていても、私たちを見ておられる神です。仕事をしているときにも、休んでいるときにも、苦しいときにも、喜んでいるときにも、いつも私たちを見ておられます。聖書の言葉を通して、私たちに語りかけ、神への叫びを聞いてくださる、生きている神です。
聖書は、あなたに問いかけます。人間に運んでもらわないと立つことすらできない偶像に頼りますか。それとも、生きて今もあなたを見守っておられる神に頼りますか、と。