おはようございます。銚子栄光教会の牧師、佐野直史です。
今日も、聖書の言葉に聞きたいと思います。
ある時、イエス様は、弟子たちに「ぶどう園と労働者のたとえ」をお話しになりました(マタイ20:1-16参照)。ある家の主人が、ぶどうの収穫のために、労働者を雇いに出かけにいきます。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、朝早くに人を雇い、ぶどう園に送ります。当時の労働時間が、朝6時から夕方6時の中で、主人は同じように9時、12時、3時、5時頃にも、同じ賃金を与える約束で人を雇い、ぶどう園に送りました。
1日が終わると、主人は約束通り、すべての人に1デナリオンずつ支払います。しかしそこで、朝早くから働いていた人たちから、「自分たちは丸1日働いたのに、1時間しか働いていない人と同じ賃金はあり得ない」と不満が出てきます。それに対して、主人が、「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。…わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」(マタイ20:13-14)と答えた、というお話です。
イエス様が、このお話を通して教えておられることは、神様というお方は、私たちが、人生のどの段階で神様に出会ったとしても、永遠の命の恵みを等しく与えてくださるということです。永遠の命は、ただ神様の恵みによって、最初の者にも、最後の者にも、同じように与えられます。それを頂くのに、遅すぎるということは決してありません。たとえ人生の終盤、午後5時から神様にお仕えしたとしても、神様は恵みによって、永遠の命をあなたに約束してくださいます。