おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
今日5日から、会社始まりという所も多いのではないでしょうか。私は、今は違いますが、昔は普通に会社で働いておりましたので、関東圏の通勤ラッシュのすごさや会社組織での苦労は、それなりに味わったつもりです。
職場や仕事先相手、あるいは学校の先輩後輩など、社会に身を置いていますと、人間関係で悩むことはあると思います。それらの集団生活をしていますと、ついつい人と人とを見比べてしまうということもあると思います。しかし、「人を知らず知らずに比較してしまう」所にも、罪が潜んでいます。なぜなら、これまでの経験則からそれぞれが基準を設け、良く見たり、悪く見たりと、人を裁くからです。
人を裁き、そして人から裁かれて、もし生きていくのであれば、それは大変窮屈な生き方になっていきます。時には、自分で設定したその基準によって自らを裁き、自己嫌悪に陥ってしまうこともある。こんな苦しい生き方はありません。
こんな窮屈な生き方からの解放、それは、人を憐れむ生き方、すなわち、他者に愛をもって接することからです。この生き方だけが、他者と自分から裁かれて生きることからの解放を意味します。人を愛して生きる時に、自由で広々とした生き方が待っているのです。