おはようございます。仙台カナン教会の今井献です。
マリアは、ガリラヤのナザレに住んでいたにもかかわらず、遠く離れたユダヤの「ベツレヘム」というダビデの町でイエスを生みました。救い主がベツレヘムで生まれることは、神が定めていたことなのですが、マリアはこのことを知って、ベツレヘムに来たのではありません。皇帝アウグストゥスが、故郷に戻って人口登録をせよとの命令を出したため、夫ヨセフと共にベツレヘムへやってきたのです。
皇帝にとって、支配する民は自分の財産ですから、人口登録とは、財産を勘定するとても愉快なことでした。しかも、そのために故郷に帰らせるというのですから、支配欲をいっそう満足させたことでしょう。ヨセフと身重のマリアは、困ったことになったという思いでナザレを立ち、ベツレヘムに来たのではないでしょうか。
けれども、皇帝は、自分の支配を見せつけるつもりで、人口登録の命令を出したにもかかわらず、逆に、皇帝自身が神のしもべであり、神の支配下にあることが明らかになりました。なぜなら、ベツレヘムでメシアが生まれるとの神の定めを実現するため、神が皇帝を動かしたのであるからです。
神のご支配は全地におよび、皇帝をも、自分のしもべのごとく自由にあやつることができます。キリストの誕生は、この神による救いのみ業です。