おはようございます。仙台カナン教会の今井献です。
ルカ福音書1章26節以下に、おとめマリアに天使ガブリエルが現れ、赤子を身ごもることを告げる場面が描かれています。その中で、ガブリエルがマリアに、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」(ルカ1:31)と語っています。
子を産むこと、生まれる子に名前をつけることは、親にとって大きな喜びです。しかし、神は、ガブリエルをとおして、男性をまだ知らないマリアに対して、男の子を身ごもること、そして、その名はイエスであると告げました。神が名前をつけるとは、生まれる子は特別な意味で神のもの、神がその者を用いることの意思表示です。
また、マリアは、聖霊によって身ごもるのだと告げられると、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)と語って、これを受け入れました。マリアは、生まれる子が特別な意味で神のものであるというだけでなく、自分自身が神のものであり、神に用いられることを理解した上で、自らを神に差し出しました。
夫ヨセフがこのことをどう受け止めるのかということも、わたしたちからすると心配になります。しかし、それら一切を神にゆだねて、受け入れるマリアの姿勢は、神に信頼する信仰をみごとにあらわしています。