「などかは下さぬ 負える重荷を」(讃美歌312番)
なぜ重荷を十字架の下に下さないの、という意味。おはようございます。魚本です。
悲しみ嘆きは、宇宙の造り主イエスがご存じ。ご実家のナザレ村に帰ると、「何だこいつは、ただ我らが知っている大工の子。弟、妹たちは皆ここにいる。」と蔑まれる(マタイ13:55-56参照)。その通りです。33年間、イエスは争いだらけの世を歩み、「敵を愛し、…迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)と教える。ですので、多くの人が信じる。
ご存じ、戦国時代、大名の3、4人に1人、日本人の約10人に1人は、カトリック。64人の総理大臣の内、8人はクリスチャン。内、麻生元総理も含めて、3人はカトリック。チョコの創業者の森永も、「サザエさん」の長谷川町子も、クリスチャン。しかし、神が求めているのは、へりくだりと信仰です。
父が好きだった番組は、庶民の味方「水戸黄門」。決めゼリフは、「控えぃ控えおろう!この紋所が目に入らぬのか!」と。しかし、イエスが「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マルコ10:45)のだ、とある。信仰によって罪が赦され、永遠の命が与えられる。感謝です。
次回は、「将監殿の慰め」。有難うございます。