おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今日6月10日は、「時の記念日」です。これは、今からおよそ百年前に定められた記念日で、記念日の日付は、『日本書紀』に記された水時計の故事に由来しています。この記念日を定めた「生活改善同盟」は、生活全般を欧米並みに合理化することを目指し、その一環として時間の厳守を訴えたようです。
それから百年経った今は、どうでしょう。電車が1分でも遅れれば、車内アナウンスでお詫びが流れるほど、時間の正確さでは群を抜く国になりました。けれども、「時」というのは、時計が刻む時刻ばかりが「時」ではありません。どんなに正確な時計でも、人が生まれる「時」も、世を去る「時」も告げることはできません。
旧約聖書の「コヘレトの書」には、「何事にも時がある」と教えています。その「時」とは、神が定めておられる「時」です。それは、場合によっては、人間にとって理不尽に思えるようなこともあるかもしれません。生まれてきた人全員が、時計とカレンダー通りに、生まれてから何年後の何月何日に死を迎えるわけではありません。そういう意味で、時は公平ではありません。しかし、大切なのは、それがどんな「時」であったとしても、そこに神の深い知恵と慈しみがあることを信じるときに、人生の時の見え方が違ってくるのです。
きょうの聖書の言葉「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」コヘレトの言葉3章1節