おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
6月のことを古い呼び名で、「水無月」(水の無い月)と呼んでいます。雨の多い6月を「水が無い月」というのは、不思議な気がします。実は、「水無月」というのは、旧暦の6月のことで、現在の7月半ばくらいからのひと月を指す言葉です。そうだとすれば、「水が無い月」という呼び名も納得がいきます。
しかし、これとは全く逆の説もあります。「水無月」の「な」というのは、「無い」という意味ではなく、「の」という意味の古い日本語で、「水の月」という意味だというのです。どちらが正しい説かは別として、どちらにしても、月の名前に「水」が関係していることには間違いありません。言い換えれば、「水」が人々の生活サイクルに深くかかわっている、ということです。
聖書の中でも、「水」そのものの大切さについては、いろいろなところで語られています。しかし、水そのものもさることながら、比喩的な表現として、魂の渇きを癒し、人を生かす、「生きた水」についても語られています。造り主である神から離れた生き方は、潤いのない渇ききった人生だと言うのです。肉体を維持するのに水が必要なように、魂には神が与える「生きた水」が必要です。その水を、イエス・キリストが与えてくださいます。
きょうの聖書の言葉「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」ヨハネによる福音書7章38節