おはようございます。仙台カナン教会の今井献です。
マルコ福音書1章21節には、初めてイエス・キリストが人々の前で教える姿について、次のように書いています。「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。」
注目すべきことは、安息日に宣教を開始したことです。 安息日とは、神の救いを保証する特別な日です。この安息日を特に選んで、人々の前にあらわれたことは、キリストが、神の救いを保証する者、すなわち、まことの救い主であることを暗示しています。その救い主の姿は、キリストの十字架の死と復活を通して明らかになります。
また、安息日は、神を礼拝する日です。これは、キリストの到来により、神礼拝が一新されることを示しています。十字架の後、まことの礼拝は、イエス・キリストを神また救い主と信じ、キリストを讃えて神を礼拝することに変わりました。そのことにより、ユダヤ人が希望と期待を置いていた神殿が、不要になりました。神殿のない神礼拝は、キリスト教が世界中に広がった理由の一つです。いつでも、どこでも、キリストを通して神に呼びかけ、礼拝ができるようになったからです。
神の安息は、安息日にあるのではなく、キリストのもとにある。これがキリスト教の福音であり、救いの中心です。どうか、マルコ福音書を読んで、キリストのもとにある安息にあずかってください。