聖書を開こう 2022年9月8日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  神の語りかけに聞こう(ヘブライ12:25-29)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 人々をキリストへと導くときに、二つの典型的なメッセージがあるように思います。一つは、罪に対する裁きを強調して、救いへと人々を導くメッセージです。悪く言えば、恐怖心を煽って、ゆっくり考える暇を与えない方法です。

 もう一つのメッセージは、救いの先にある素晴らしい世界を描いて、そこへと人々を招き入れるメッセージです。これも悪く言えば、いいことしか語らないので、信じることで生じる様々な困難に、あとになってつまずいてしまいます。

 どちらも、聖書の中にその典型的な例があります。そして、どちらも信じる心を持たない人には、全く響かない話ですが、信じる人には、どちらの話を聞いても信仰へと導かれるので不思議です。

 今学んでいる「ヘブライ人への手紙」はその両方を上手に組み合わせて、厳しい言葉と共に、福音の持つすばらしさをも必ず語っています。逆に福音の恵みの側面を描いた時には、福音に背を向ける生き方の悲惨さをも語っています。肝心なのは、聖書のメッセージを偏りなく伝えることだと思います。

 きょう取り上げようとしている個所もその典型だということができます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヘブライ人への手紙 12章25節〜29節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。

 前回は、モーセが律法を授かったシナイ山での場面と、福音を信じる者に約束されている天上のエルサレムでの集いの素晴らしさが、対照的に描かれていました。丁度その前には、信仰者が受ける厳しい鍛錬について語って来ましたので、その訓練によって導かれる先の素晴らしい世界を描いて、信じる者たちを励ます必要があったからです。

 さかのぼって考えると、その鍛錬について、この手紙の著者が語ったのは、信仰者が直面する困難が持つ積極的な意味を理解させるためでした。つまり、困難を通して、父である神がわたしたち信じる者たちをご自分の子として扱い、訓練してくださっているということでした。

 きょう取り上げた個所では、再び厳しい警告の言葉が続きます。

 「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。」

 前回同様、モーセがシナイ山で律法を授かったときの場面を対比させながら、警告の言葉を語ります。今度は祝福の大きさではなく、ダメージの大きさが強調されます。

 律法を授かったイスラエルの人々は、約束の地を目指して荒れ野を旅する時に、神の声に従順に聞き従うことをしませんでした。この手紙の中で、その不従順さは繰り返し指摘されてきました。例えば、3章16節以下でこの手紙の著者はこう述べました。

 「いったいだれが、神の声を聞いたのに、反抗したのか。モーセを指導者としてエジプトを出たすべての者ではなかったか。…いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。従わなかった者に対してではなかったか。」

 シナイ山で語られた神の声に聞き従わなかった者たちが罰から免れなかったとするなら、天から降ってこられたお方、御子イエス・キリストを通して語られる神の言葉に背を向ける者がどれほど罰を免れがたいか、それは言うまでもないことです。

 この手紙の著者は、1章で御子による啓示の最後的性格を強調していました。

 「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」(ヘブライ1:1-2)

 そうであるなら、この御子による語りかけは特別な重みを持ち、その語りかけに背を向けることがどれほど大きな代償を伴うことかは、容易に想像がつきます

 このことを語るとき、この手紙の著者は自分自身を含めて「わたしたちは、なおさらそうではありませんか。」と語っています。「あなたがたは…気をつけなさい」と語りだした著者でしたが、自分自身も御言葉に対して従順に聞き従おうとしている姿勢が、ここに表れています。「わたし」と「あなた」なのではなく、同じ福音を信じる仲間として、信仰の歩みを共にして行こうとする姿勢の現れです。

 著者は再びモーゼがシナイ山で律法を授かったときの場面を思い起こさせてこう語ります。

 「あのときは、その御声が地を揺り動かしました」

 その時の場面は出エジプト記の19章18節に描かれていますが、その記憶は詩編の中でも歌い継がれています。

 「神よ、あなたが民を導き出し 荒れ果てた地を行進されたとき、地は震え、天は雨を滴らせた シナイにいます神の御前に 神、イスラエルの神の御前に。」(詩編68:8-9)

 大地が震え、揺り動かされることは、出エジプト記の出来事を直接体験しなかった世代の人々にも語り継がれる程の出来事でした。この出来事と対比させて、著者はキリストがもたらす終末の世界の出来事を、ハガイ書の預言の言葉を引用しながらこう語ります。

 「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」

 このとき、あらゆる被造物が揺り動かされて過ぎ去ってしまうのに対して、揺り動かされることのない神の国、キリストの支配が明らかになります。しかも、手紙の著者ははばかることなく、「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう」と書き記します。

 「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」という警告の言葉から始まったきょうの個所ですが、そのような警告の言葉を述べるのは。この手紙の受取人たちが、かつてのイスラエルの民のように背く民であるからではありません。そうではなくキリストの支配のもとに置かれているからこそ、そこにとどまり続けるようにと励ましているのです。それは恐怖心からはなく、救いに対する感謝の思いから、喜んで神に仕えることによって実現するのです。

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