聖書を開こう 2022年6月16日(木)放送

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  アベル、エノク、ノアの信仰(ヘブライ11:4-7)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 新約時代に生きる私たちが旧約聖書を読むのは、とても意義深いことです。というのも、新しい契約は古い時代の契約と無関係に忽然と現れたわけではないからです。新しい契約の仲介者である大祭司キリストは、古い契約の中で既に指し示されており、古い契約のもとでの諸々の制度はやがて来るべき救い主イエス・キリストの到来を影のように示すものでした。このつながりについてこの手紙の著者は手紙の中でずっと語ってきました

 旧約聖書を読むもう一つの意義は、そこには信仰をもって生きた人々の数多くの模範があるからです。ヘブライ人への手紙の11章では、そうした信仰の模範を概観します。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヘブライ人への手紙 11章4節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

 前回の学びでは、「信仰とは何か」ということを学びました。この手紙の著者はそれを簡潔にまとめてこう述べました。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)

 そして、昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められたと述べています。きょうから学ぼうとしている個所には、そのように生きた具体的な人物が旧約聖書から取り上げられます。

 この手紙の著者にとって最初に見いだされた信仰はアベルの信仰でした。アベルは人類の始祖、アダムとエバの間に生まれた子どもでした。兄の名はカインで、この二人はあるとき共にそれぞれの職業に応じて神に献げ物を献げます。ところが、神は兄カインの献げ物を退け、アベルの供えた献げ物を受け入れられました。

 なぜアベルの献げ物が受け入れられ、カインの献げ物が退けられたのでしょうか。その理由をアベルの信仰と結びつけてこの手紙の著者は解き明かします。つまり、アベルは信仰によって優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されたからだ、というのです。

 このことを記した創世記4章の記述には、そのことがはっきりとは記されていないように思われるかもしれません。しかし、そうではありません。創世記がこのことを記すときに、神が受け入れられたのは「アベルとその献げ物」と表現しています。神が受け入れたのはまずアベル自身であり、その次にそのアベルが献げた献げ物でした。神はそれを献げた人に目を止めないで、献げ物にだけ心ひかれたのではありません。

 アベルの献げ物にはそれを献げる人の心が表れていました。それは群れの中から選び抜かれた「肥えた」しかも「初子」でした。しかし、カインの献げた献げ物には、このような思慮深い選別の跡は見られません。それどころか、神ご自身によって「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」と指摘されています。

 この手紙の著者は10書38節でハバクク書から引用してこう語っていました。

 「わたしの正しい者は信仰によって生きる」

 まさにアベルは信仰によって生きた正しい人だったのです。

 次に紹介される人物はエノクです。エノクは創世記の系図の中にわずか数行しか出てこない人物ですが、その系図の記され方から、注目を浴びる人物でした。というのは、エノクの前後に記される系図の人物は、すべて「そして、死んだ」と結ばれるのに対して、エノクだけが「エノクはいない。神がとられたからだ」(私訳)と結ばれているからです。

 この点をこの手紙の著者はこう説明します。

 「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです」

 「信仰によって」という部分は、この手紙の著者の解釈ですが、エノクの生涯のどの部分にエノクの信仰を見たのでしょうか。この手紙の著者はこう述べます。

 「移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。」

 つまり、神に喜ばれていたということが、エノクに信仰があった証拠であるというのです。では、どの点をもってエノクが神に喜ばれていた確証であると考えたのでしょう。創世記の記述から、移される前のエノクについて語っているのは「神と共に歩んだ」という点しか考えられません。ヘブライ人への手紙の著者は、神と共に歩む姿にエノクが神に喜ばれていた証拠を見て取ったのでしょう。エノクは地上に生きているときから、神がおられることを信じ、その神が約束してくださっているものが確実であることを信じ、神と共に歩み続けた人でした。

 ヘブライ人への手紙の著者は10章39節で「わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です」と語っていますが、エノクこそ信仰によって命を確保した典型的な模範です。

 3番目に信仰の人として紹介されるのはノアです。ノアもまた神と共に歩んだ人物として、創世記で紹介されている人物です(創世記6:9)。その生涯でもっとも記憶されるのは、洪水に備えて神の命令通りに箱舟を建造したことでした。文字通り雨が一滴も降らない時に、海でも川でもない場所に、神の命令に従ってすべてを備えた人でした。まさに望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する信仰の人でした。

 そのノアの信仰を紹介するときに、この手紙は「その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」と語ります。神を信じとおして箱舟を建造した結果、ノアは信仰を持たない生き方の結末がどうなるかを示すこととなりました。神を信じないものたちの罪が暴かれ、滅んでしまったからです。

 しかし、そのような罪の世界の中で、ノアは信仰によって見えないものを確認し、その信仰によって義を受け継ぐ者となったのです。このノアはまさに信仰によって生きる者の典型なのでした。

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