キリストへの時間 2022年9月18日(日)放送

山下朋彦(平和の君教会牧師)

山下朋彦(平和の君教会牧師)

メッセージ: 共に苦しみ、共に喜ぶ

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。平和の君教会の山下です。
 この夏の楽しい思い出は、障害者施設のキャンプに参加したことでした。対岸に愛媛県を望む瀬戸内の静かなビーチで、1泊2日を施設の職員の方や利用者の方々と過ごしました。もう時間の経つのも忘れ、定番のバーベキューや海水浴を楽しみ、オプションで船釣りを楽しむグループもありましたが、釣果はなかったそうです。

 このキャンプの特色は、半数以上が障碍を負っている方々なので、楽しく過ごせるよう時間に無理がなく、各自が自由に過ごせる配慮や工夫がなされていることでした。ともすると、キャンプでは、中についていけず寂しい思いをする人がいたり、終わって疲れだけが残ったということも少なくないのではないでしょうか。今回、それは全くといって良いほどありませんでした。

 参加者の中には、子どもさん3人がめいめい障碍を負っておられたり、一見すると何の障害もないようにみえても、初対面の人が苦手という方もおられました。私にとっては、普段少し顔を合わすだけですが、寝食を共にすることで、これまでの経歴や家族構成、施設に来られたきっかけなども分かり、すっかりうち解け、身近なつながりとなりました。

 長々と紹介しましたのは、弱さを抱える方々との交流は、人間にとって、又、社会にとって、とても大切で、有意義な機会であることをお伝えしたかったからです。パウロは、コリント教会の教会員について、互いの結び付きを有機的な一つの身体の器官にたとえて、大事な真理を語っています(1コリント12:12-26参照)。特に26節で、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」と教えます。

 今の社会やグループを見ると、結局、一つの部分が尊ばれていないところから、いつしか全体が病み、いびつになり、格差が助長されているのではないでしょうか。とても残念なこと、悲しいことと言えます。私たちは、元々それぞれに相異があり、個性や賜物が、神様から与えられている存在だと思うのです。ならば、互いに助け合い、補い合い、仕え合ってこそ、神様のみ業が現わされていくのではないか。誰もが生き甲斐と夢と喜びをもって過ごせるようにされたく、心から願います。共に生きていける優しい社会、世界、教会とされますように。



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