【高知放送】
【南海放送】
「キリストへの時間」をお聞きの皆さん、おはようございます。忠海教会の唐見です。
今年は、4年に一度のサッカーのワールドカップが行われます。暑さの厳しい、中東のカタールが会場ということで、通常だと6月に開催されるところを、11月に変更して行われることになりました。ベスト8を目標に掲げている日本代表は、予選ラウンドの組み合わせで、優勝経験のある強豪のドイツ、スペインと同じグループになってしまいました。ベスト8どころか、予選を突破するのも難しいグループですが、実際どうなるのでしょうか。
さて、サッカーの試合中に審判が出すカードに、イエローカードとレッドカードの二つがあります。そして、もうひとつ、別の色のカードがあるのをご存知でしょうか。それは、「グリーンカード」です。グリーンカードは、イエローカード・レッドカードとは、まったく趣旨の異なるものです。イエローカード・レッドカードは、良くないプレイに対して使用される、懲罰的なものですが、グリーンカードは、逆に、良いプレイに対して提示される、表彰的な意味を持っています。
グリーンカードは、小学生までの試合で使用されるもので、Jリーグや日本代表の試合で見ることはありません。ですから、サッカーが好きで、グリーンカードの存在は知っていても、実際に審判がそれを出すシーンを見たことのある人は、あまり多くないと思います。私は、一度だけですが、グリーンカードが出されるところを見たことがあります。それは、ちょうど真夏の暑い時期、地元のジュニアのサッカークラブの試合のことでした。ゲームの途中、ある選手が蹴ったボールが、サイドラインを大きく割って、遠くに転がっていきました。地方の小学生の試合ですので、ボールボーイはいません。ボールの転がっていった先に誰かがいれば、蹴り返してくれますが、残念ながら、そこには誰もいませんでした。普通に30度を超える、真夏の炎天下での試合で、みんな疲れていて、誰も、ボールを取りに行きたくない状況でした。
そのとき、ポジション的には近くではなかったある子が、さっと走ってボールを取りに行き、相手チームに渡したのです。それを見た審判は、その選手に、笑顔でグリーンカードを出しました。彼がボールを取りに行ったのは、自分たちのチームが負けていたので、すぐに試合を再開したかった、ということではありませんでした。味方のチームにとって、あるいは、彼自身にとって、何かメリットがあったわけではありません。逆に、炎天下での試合で、少しでも足を止めて休みたいところでした。ただ、誰かがボールを取りにいかなくてはならない、でも、誰もそれをしたくないというときに、自発的に彼がそれをした、ということです。そして、彼の行為は、それを見ていたまわりにいる人々を幸せな気分にしてくれました。
山上の説教の中で、イエス・キリストは、次のように教えておられます。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7:12)。いわゆる「黄金律」と呼ばれる言葉です。ここでポイントになるのは、人からしてもらいたくないことはしない、ということではなく、そこから一歩進んで、人にしてもらいたいことをする、ということです。ファールはしない、イエローカードやレッドカードはもらわない、ということにとどまらないで、グリーンカードをもらえるプレイをしよう、ということですね。
聖書の語るまことの神様は、この世界を公正に、誤審なくジャッジされる審判です。わたしたちが、それぞれ、人生というピッチの上で、どのようなプレイをするのかを常にご覧になっています。時にはミスをし、失点することもあるでしょう。それでも、ミスやファールを恐れて消極的なプレイをするのではなく、ゴールを目指して積極的にプレイすることを、主なる神は求めておられます。
それぞれに与えられているタラントを土の中に埋めてしまうのではなく、それを十二分に生かすこと、そして、地の塩、世の光として輝いて生きることを主は願われ、また正しく評価してくださいます。