【高知放送】
【南海放送】
「キリストへの時間」をお聞きの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。8月のメッセージを担当します忠海教会の唐見です。
明日8月15日は、終戦記念日です。1945年の敗戦から数えて、今年は、77年目にあたります。日本キリスト改革派教会でも、各地で平和を覚えて集会が行われます。
今年は、戦争の悲惨さについて、そして、平和の尊さについて、改めて考えざるを得ない年となってしまいました。2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まってから、大勢の人々が殺害され、負傷し、あるいは、難民として国外に逃れています。首都キーウ近郊のブチャや南東部の町マリウポリでの激しい戦闘の傷跡、また、隣国ポーランド、スロバキア、ハンガリーに逃れる人々の様子など、連日メディアで報道されています。画面に映し出される映像は、あまりに衝撃的すぎて、時として、非現実的に感じられるほどでした。
ウクライナに対して圧倒的な軍事力を有するロシアとすれば、この戦争は、すぐに決着が着くと考えていたのでしょう。侵攻が始まったのは、北京で冬期オリンピックが閉幕した後のことで、続いて行われるパラリンピックまでには戦闘を終えるつもりだったと思われますが、現実はそのようになりませんでした。
連日報道される、ロシアのいわゆる「特別軍事作戦」のニュースによって、20代前半に出会ったある作家と、その小説を思い出しました。アゴタ・クリストフという、ウクライナの隣国で、今まさに多くの難民が避難しているハンガリーの作家です。彼女自身は、1956年のハンガリー動乱の際に国外に逃れた、亡命作家でした。
彼女の代表的な作品は、『悪童日記』から『ふたりの証拠』、『第三の嘘』と続く三部作です。作中には、具体的な舞台設定はありませんが、第二次世界大戦時の混乱、その後の共産主義政権時代、そして、共産主義政権の崩壊へと続くハンガリーが舞台であることは明らかです。そこでは、ナチスドイツと、それに続くソ連軍の侵攻と圧政があり、大国のはざまに置かれて翻弄される小国の現実があります。
アゴタ・クリストフは、過酷な現実を独特の簡潔な筆致で、かつ、容赦なく描きます。作品には、戦時下で「魔女」と呼ばれる祖母の家に預けられた二人の少年を中心に、心と身体に痛み、そして傷を持つ、さまざまな人々が登場します。現代では、サポートや医療行為を受けるべきだとみなされる人々が、戦時下においては、誰からも守ってもらえず、死に追いやられること、また、虐待を受けた被害者が、異なるシチュエーションでは加害者にもなりうることも語ります。メディアで大量に流されるウクライナ侵攻の悲惨な映像が、記憶の中で眠っていた彼女の作品を思い起こさせ、なんともいえない、暗い、嫌な気分になりました。あれから半世紀が過ぎ、21世紀になってもなお、同じことが繰り返されている、何も変わっていないのだ、と。
聖書にも、同じように、戦争による悲惨な現実が記録されています。たとえば、南ユダは、大国バビロンによって侵略されます。哀歌などを読むと、それは、単に兵士同士の戦いだけではなく、女性や子ども、高齢者などの民間人の虐殺、略奪、貧困、女性の性被害、難民の発生などがあったことを知ることができます。当時、現代の大量兵器は存在していませんが、戦争がもたらす悲劇の本質は同じです。戦争において、人間の根源的な罪深さは、もはや、ごまかしようのないほどに顕在化します。
おそらくこれからも、この世界に、戦争による悲劇は存在し続けるでしょう。わたしたちは誰一人として、ここから逃れることはできません。おそらく、77回目の終戦記念日を明日に控えて、わたしたちに最も必要なことの一つは、この罪と悲惨の現実を直視することではないか、と感じています。
この残酷な現実を踏まえた上でなお、主なる神は、わたしたちに、平和を追い求めるよう命じておられることを覚えたいと思うのです。それがどれほど大変なものか、先のまったく見通せないはるかな道のりですが、それでも主は、平和の福音を告げ知らせ、平和を実現する者として歩むことを求めておられます。