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「キリストへの時間」をお聞きの皆さん、おはようございます。8月のメッセージを担当します、広島県竹原市にあります忠海教会の唐見です。
もう十年以上も前のことになりますが、それまで過ごしていた首都圏から、ここ忠海教会に移ってきました。その時に感じたことの一つは、空の色の鮮やかさでした。青空の青はより青く、白い雲はより白く感じられたことを覚えています。よく晴れた日には、こちらから、四国の山並みが浮かんで見えます。
夜空もきれいで、空にまたたく星の数も、首都圏とは全然違います。創世記のアブラハム物語で、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」「あなたの子孫はこのようになる」(創世記15:5)、と主なる神が、アブラハムに語りかける場面があります。工場や自動車の排ガスのないアブラハムの時代は、もっときれいな星空だったでしょう。それでも、ここ忠海から眺める夜空も悪くはありません。おそらく、四国の夜空も同じではないでしょうか。
ちょうど今週末、三大流星群の一つ、ペルセウス座流星群がピークを迎えます。今年は、ちょうど満月と重なって、例年より見えにくいみたいですが、国立天文台の予測によると、次の土曜日13日の夜明け近くが、一番多く観測できるみたいです。うまくいけば、一時間に30個の流れ星を見つけることができるようです。
数年前のちょうど今頃、忠海の小学生が「『流れ星に願い事をすると願い事がかなう』というのは本当なのか」を夏休みの自由研究のテーマにしたところ、ローカルのテレビ局の番組に取り上げられたことがありました。広島県呉市に天文台があって、そこで、高性能の天体観測の機器を使い、実際に流れ星を見つけて願い事をして、それが本当かどうか確かめてみよう、ということになったのです。私の娘も、発案者の友達として参加させていただきました。学芸員さんのアドバイスをいただきながら、自由研究でわかったことは、とても単純なことでした。それは、流れ星に願いごとをするということが、控えめにいって、とても難しいということ、というより、ほとんど不可能なのだ、ということでした。
かつて、おそらく広島でしか放送されていないこんなテレビコマーシャルがありました。「ゴールドもみじ」という、変化球的なもみじ饅頭のCMなのですけれども、流れ星を見つけた女子高生が、「ゴールドもみじ、ゴールドもみじ、ゴールドもみじ」と祈ると、ゴールドもみじを持った変なおじさんが空から降ってくるというCMです。流れ星というと、ついこれを思い出してしまうのですが、流れ星が流れる時間は、まさに一瞬なので、「ゴールドもみじ、ゴールドもみじ、ゴールドもみじ」なんて、実際には言っていられないのです。
「『流れ星に願い事をすればかなう』というのは本当か」という命題の真偽は、その自由研究では解明できませんでした。ただ、一瞬で消え去ってしまう流れ星に願い事ができるとしたら、その願いはとても強いもののはずで、叶いやすいかもしれない、と学芸員さんが最後に説明してくれました。
いつ、どこで、誰がこれを言い始めたのか、諸説あるようですが、少なくとも、古代ローマの天文学者プトレマイオスの時代、それは、新約聖書が書かれた少し後になるのですけれども、地中海世界に、この言い伝えは存在していました。おそらく、地中海世界を旅したパウロたちも知っていたはずです。もし、パウロに、「流れ星に願い事をしたらかなうのでしょうか」と聞いたらどうだったでしょうか。答えは、きっと「ノー」でしょう。
聖書の中に、流れ星に願い事をする場面はありません。流れ星にではなく、流れ星を含めて夜空をいろどるさまざまな星々を造り、配置なさった方がおられ、その方に願い事をするように、と聖書は語ります。たとえ流れ星が見えなくても、月明かりさえないような真っ暗な夜空であっても、主なる神は、わたしたちの願いを聞いてくださるのです。