おはようございます。松戸小金原教会の三川です。
祈りの最初の一歩は、「ありがとう」と言うことです。しかし、祈れば祈るだけ、願えば願うだけ、善いことが起こるというのではありません。
今「ある」ことに対して、「ありがとう」と言うことが祈りです。でも、多くの祈りは「ありがとう」よりも「お願い」に偏っているかもしれませんね。しかも、いくら「お願い」しても、きっと叶うことはないと、諦めの思いがふつふつと湧いているかもしれません。
祈ることは良いなあと思いつつも、祈りが、自分の現実を変えるほどの力はないとも思ってしまうところがあります。祈っても、それは、時間の無駄なのではないかと。でも祈りとは、自動販売機のように、何かを入れたらすぐさま対価が返ってくるものではありません。祈りとは、神に自分の願いを押し付けて、叶えさせるものではないからです。
ところが、イエスはこう言いました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(ルカ11:9)。聖書の神に願い求めるならば、神は、その人に最善のものを与えると約束されたのです。
祈りの最初の一歩は、「ありがとう」でした。続く二歩目は、この約束に対する「信頼」です。約束が必ず果たされると信頼するからこそ、神にお願いをすることができます。自分の願った通りに叶うとは限りませんが、それでも、聖書の神は、今日あなたに最善を与えてくださいます。