おはようございます。筑波みことば教会の朴徹です。
最近、人を愛すること、愛されることに、資格など必要はなく、人は誰でも愛し愛されるべき存在である、ということばをよく耳にしますが、はたして本当にそうでしょうか?現実は、そんなに甘いものではないと思います。
愛には、責任が伴います。恋人や友だち、家族、相手が誰であっても、誰かを愛し、また、誰かに愛されるためには、努力が必要です。誰かを愛するにふさわしい自分、愛されるにふさわしい自分になるための努力をしなければ、人と人との愛はなりたたないのが現実です。
しかし、神様の愛は違います。神様から愛されるための努力や資格など必要ありません。聖書は次のように語ります。「高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」ローマの信徒への手紙8章の39節です。
神様の愛から、わたしたちを引き離すことができるものは何もありません。誰も、わたし自身でさえ、神様の愛から、自分自身を引き離すことはできません。わたしたちは、神様の愛を必要ないと考え、捨ててしまっているかもしれませんが、神様の愛は、決してわたしたちを捨てることはありません。
いつもどんなときでも、神様は、わたしたちを愛してくださいます。神様は、永遠の過去から、すでにわたしたちを愛しておられ、続けて永遠の未来に至るまで、わたしたちを愛してくださいます。