ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
聖書には、イエス様がいろいろな人の病気を治すという奇跡を行ったことが記されています。それで、今日でも病気が治ることを期待して、神様にお祈りをするということがあります。祈りが聞かれて、奇跡的に治るということも実際あります。
しかし、いくら祈っても治らない、やはり聖書の話は作り話だ、という方もおられます。実は、聖書の中には、いくら祈っても病が治らなかったという例もあるのです。何とそれは、キリストの代表的な弟子であったパウロのことです。
病が治るように一生懸命祈ったパウロに対して与えられた答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント12:9)というものでした。それでパウロは、キリストのゆえに満足することができるようになりました。
今日でも、たとえ病が治らなくても、キリストを信じて満足している、喜んでいる、そういう方もおられます。むしろ病を通して、よりイエス様のことが分かって、病さえ感謝している、ということがあります。奇跡的に治ることも、イエス様のなした奇跡でしょう。しかし、治らなくても、キリストのゆえに満足できるようになる、感謝できるようになる、これもまた、イエス様のなした奇跡ではないでしょうか。
パウロは、病だけではない、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態でも満足している、と言います。これも、奇跡のように、私には思われるのです。それをイエス様が、今日でもしてくださるのです。