おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
教会で、イエス様を信じて洗礼を受けた人は、イエス様がいつも一緒にいてくださるという約束を与えられています。それは、単に「傍にいる」というものではありません。もっと密着した、もっと確かなできごとです。
使徒パウロは、そのできごとを、「キリストを着ている」と表現しました。それは、私たちが、衣服を身に付けるように、キリストを肌身から離さないことです。さらには、その人を表現するのに、その着ている服で表すように、キリストがキリストを着ている私たちの個性となることです。そして、着ている服でその日の気持ちが変わるように、私たちの心を変える力として、キリストを身につけるということです。
洗礼を受けた人は誰でも、キリストを自分の個性とします。それは、私自身の個性を消して、画一的になるということではありません。キリストを身にまとった私こそが、本当の私、本当の個性なのです。自分自身の本当の個性を活かすために、キリストを着る。それが、洗礼です。
聖書を読みます。「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:27)