おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
今週は、教会でする「洗礼」ということについて、聖書が教えていることを少し聞いていきたいと思います。
洗礼は、教会によっていくつかのやり方があります。でも、どの教会でも、水を使うのは一緒です。水は、よごれを洗い流すものですが、宗教的なけがれをきれいにする時にも、水が使われるのです。
私たちは生きている限り、罪を犯し、けがれてしまいます。ですから、その罪から救われ、けがれを清めることが必要です。水そのものが、特別な力を持っているわけではありません。人の罪とかけがれは、流したり、こすったりするだけで、なくなるものではないのです。私たちは、神様を信じて、イエス様の十字架によって、罪を清めていただかなくてはなりません。
ただ、そのイエス様による洗いを、水を使って目に見える形にすることで、実感しやすく、覚えやすくするのが、洗礼の役割です。私たちは、自分が、罪を洗い流し、清めていただかなくてはならない者であることを、あらためて覚えておきましょう。
聖書を読みます。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒2:38)