おはようございます。銚子栄光教会の牧師、佐野直史です。今日も聖書の言葉に聞きたいと思います。
あなたは、家電の使い方が分からなくなったら、どうするでしょうか。私は、分からなくなって困っている時、ふと、「説明書を見ればいいんだ」と気づかされることがあります。説明書には、その家電のことが詳しく書かれていますので、それを読むと問題を解決することができると思います。
聖書には、次のような詩人の言葉があります。「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。」(詩編139:1-3)
「主」とは、神様のこと。また、「究める」とは、「調べる、研究する」とも訳される言葉です。つまり、この詩人は、「神様というお方は、私たちのことを究めておられる。知り尽くしておられる。そして、私たちのことをいつも見ていてくださるお方なのだ」と言うのです。
私たちは、生きていく中で、自分で自分のことが分からなくなってしまうことがあるかもしれません。自分の人生の意味が、分からなくなってしまうことがあるかもしれません。誰も、自分の悩み苦しみを知らないと、思うこともあるかもしれません。
しかし、神様は、あなたのことを究めておられるお方です。あなたのことをいつも知っていてくださるお方です。聖書とは、神様が与えてくださった、私たち人間の取扱説明書のようなものです。神様は、今日もその聖書を通して、私たちに語り掛けておられるのです。