おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
皆さんは、正論を言われて苦しんだ経験はありませんか。自分に非があり、心から悪いと思っている。そんな時に、他者からもっともな事を言われる、言われ続ける。ひと度言い返そうものなら、言い訳になるので黙るより他ない、謝るしかない。こういう経験はありませんか。私もこういう経験をしたことがあります。
聖書は、人は生まれた時から悪い、と教えます。たとえ幼子でも同じ、子どもはむしろ、罪むき出しの存在、と教えます。人は、聖書の言葉に聞いて、正されなければならない存在なのです。
人は、自分には罪がない、正しい、と考えている間は、実は、他者を責め立てます。自らの物差しで、他者を測り、そして裁くのです。或いは、面白そうに高みの見物を決め込むこともします。しかし逆に、自分には悪い所がある、聖書の言葉により、自分のここの部分が悪いとしっかり知った人は、今度は人を裁かないように努力します。
イエス様だけが、人の罪を裁くことのできる方です。しかし、心から罪を認めている人を前にしたとき、イエス様は、「わたしもあなたを裁かない。もう罪を犯してはならない」と宣言くださるお方です。ぜひ教会で、自分の罪が赦される経験を味わってみてください。(ヨハネ8:1-11参照)