おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
イエス様は、聖書で、ご自分を水にたとえたり、羊飼いにたとえたりされていますが、今日は、ご自分を「パン」にたとえたお話です。
聖書の地域で、パンは無くてはならない主食でした。私たちであれば、ご飯にあたるでしょうか。そんなどの家庭にもある食べ物、必ず一日に一度は目にする、無くてはならないものを、イエス様は、ご自分にたとえられたのです。
イエス様が、「父なる神さまが天からまことのパンをくださる」と言われた時、これを聞いていた人々は、「そのパンをわたしにもください」と言いました。それに対して言われた言葉こそ、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることはない」でした。(ヨハネ6:22-40参照)
この言葉は、人々の飢え渇きを憂いての言葉でした。実は、私たちは、満たされていないのかもしれません。そして、満たされていないから、さまよっているのかもしれません。しかし、それらに対する聖書の答えこそ、「わたしイエスが命のパンだ」ということなのです。
神が、この世界に送ってくださったイエス様を、命のパンとして頂くこと。つまり、イエス様を信じることこそ、神からの命を頂くことだ、つまり、神とずっと共に、喜びをもって生きることだと教えてくださったのです。