おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
私は10代の頃に、「何のために生きているのだろう」と考えた事があります。固い椅子に座って、まじめに授業に励むクラスメイトを横目で見ながら、そう思っていた頃があります。そして或る時、自分のことをよく知りたいと、自分の性格や特徴を調べたり、新しい事にチャレンジして、新たな一面を見出そうとした時もありました。
しかし結局は、変化・成長する時期でしたし、分からずじまいでした。そんな事を考えている頃に、聖書の洗礼者ヨハネの話を聞き、こういう生き方もあるのかと、思ったことを思い出しました。
このヨハネという人は、後に来られる方、イエス様を指し示すことを使命として与えられた人でした。そして、その使命に生きることを光栄なこととして喜んでいる人でした。自らを「花婿の介添え人」ともたとえて、黙々と使命を理解し全うした人です。(ヨハネ3:22-30参照)
人からの過度の期待は、負担にもなります。しかし、私のことを知り抜いておられる神と出会い、あなたを選び、「こう生きなさい」と言ってくださる。神と出会った人の幸いの一つは、神によって生き方がピタッと定まることです。不安定な世界に在って、希望をもって、神と共に生きる。この事が、あなたの喜びとなるはずです。