皆さんいかがお過ごしですか。湘南恩寵教会の坂井です。
今はとても闇が濃い時代ですけれど、皆さんの魂が守られますようにと祈っています。今、暗闇しか見えない方もおられるかもしれません。実は聖書にも、暗闇の中で喘ぎ、もがき、戦い、生き悩んだ人たちの、祈りと苦悩が刻まれています。そして、そこに注がれた救いの光もまた、証しされています。
今日は、新約聖書のヨハネ福音書9章に記されています、生まれつき目の見えない人の物語を紹介します。この目の見えない人は、物乞いをしていたと書かれています。古代の世界にあっては、今のように、医療や福祉などが整っておりませんから、大きなハンディを背負って生まれてきたことは、大変過酷なことでした。
この人は、残念ながらそのようにして、文字通り暗闇の中で生きておられました。でもそこに、イエスが来られます。彼をご覧になって、イエス様は、こうおっしゃいました。この人の目が見えないのは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ9:3)。
古代世界においては、「親の因果が子に報い」という類の、因果応報の迷信がありました。しかし、イエス様は、そうではないと言い切りました。不幸というものを背負って生まれてきたように思われている人もいるでしょう、過酷な人生を与えられて、苦しんでいる方もいらっしゃるでしょう。でも、そういうものは、その人への罰として与えられているのではない。そうではなく、今から後、この人の上に、神の業が現れるためだ。そうおっしゃってから、その盲人の人生を抱きしめてくださって、彼の目を開いてくださったのです。