いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も、聖書の言葉に聞いていきましょう。
神は、聖書を通して、私たちに語りかけてくださいます。聖書は、救い主イエス・キリストについて証しされた文書です。ですから、聖書は、私たちに、救い主イエス・キリストを指し示します。
聖書によると、イエス・キリストは、私たちの身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださいました。このイエス・キリストの十字架の死によって、神は、私たちの罪をゆるしてくださいました。神の言葉である聖書は、この十字架のイエス・キリストを指し示しています。十字架刑とは、当時のローマ帝国において、最も罪の重い犯罪者に課せられる処刑方法でした。
ですから、十字架にかけられたイエスが私たちの救い主であると語ることは、一般的には愚かなことでした。パウロは、コリントの信徒への手紙一 1章18節で、こう語っています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
神は、私たちを罪から救い出すために、イエス・キリストをこの世界に使わし、十字架にかけられることをお許しになりました。神は、イエス・キリストの十字架の死を通して、私たちに愛を示してくださいました。イエス・キリストの十字架の死は、私たちが罪ゆるされて、神と共に生きていくための大きな力となります。