いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
キリストの故郷の人たちは、キリストの話を聞いて、神の知恵を感じ、奇跡を見ても、信じることができませんでした。故郷の人たちは、自分たちはイエスのことをよく知っていると思っていました。しかし、その人たちが知っていたのは、神の働きを始める前のイエスのことです。
彼らは、キリストについて、自分たちと共通する部分だけしか知らないのです。だから、それを超えるような知恵や力を受け入れられません。言ってみれば、それは、常識的な感覚かもしれませんが、神を理解しようとするなら、私たちは、自分の常識から出ていかなければならないのではないでしょうか。
100年前の常識で、今でも通用する常識が、どれくらいあるでしょうか。1861年に、フランス科学院は、「聖書を否定する科学的事実が51もある」という内容のパンフレットを出版しました。しかし、その後の100年の間に、聖書を否定するはずの「科学的事実」の方が、一つ残らず、科学者自身の手によって否定されてしまったのです。
また、18世紀のフランスの哲学者にボルテールという人がいます。この人は、「100年後には、人々は聖書について、何も聞かなくなるだろう」と言いました。しかし、200年以上たった今も、世界中で聖書は読まれています。それどころか、ボルテールの住んでいた家は後に、ジュネーブ聖書協会の施設となって、聖書を広めるための場所になったのです。