いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
もう半年ほど前になります。年末に歌番組(第72回NHK紅白歌合戦)を見ていましたら、「命に嫌われている」(作詞作曲:カンザキイオリ)という歌が、テレビから流れてきました。誰もが肉体の死を避けることはできません。わたしたちの日常には、思いがけない災害や不条理な事件が起こり、多くの命が失われます。それでも逃れることができない死の力に対して、「命に嫌われている」と叫びながら、「夢も明日も何もいらない。君が生きていたならそれでいい。そうだ。本当はそういうことが歌いたい。」と語り、最後は「生きて、生きて、生きて、生きろ。」との叫びで終わっています。衝撃的な歌詞が続く歌ですが、逆説的に生きるように励ましていると思いました。
聖書にも、厳しい現実の中で、生きることさえ拒否する気持ちを語った人がいます。ヨブと言う人は、「わたしの魂は生きることをいとう。嘆きに身をゆだね、悩み嘆いて語ろう。」と語っています。ヨブは、「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きて」いました。家族も財産も祝福されていました。
そのヨブに、突然の試練が襲います。略奪者に襲われて、家畜や財産が奪われました。また災害によって、子供たちも亡くなりました。その時でもヨブは、神を非難して罪を犯すことはありません。しかし、さらに彼は、酷い皮膚病にもなりました。ヨブには、神様の思いは隠されていますが、流石のヨブも悩みました。そこで、神様に嘆き、「なぜわたしと争われるのかを教えてください。」と叫びます。(ヨブ10:1-2)
命に嫌われるような状況にあるとしても、わたしたちには、神様に問うことが許されています。神様は、必ず答えてくださいます。その神様の答えが、イエス様です。イエス様を遣わすことで、神様は、わたしたちのすべての問題を解決し、命の道を開かれました。