おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
旧約聖書の箴言にこんな言葉があります。「知恵ある者と共に歩けば知恵を得 愚か者と交われば災いに遭う。」(箴言13:20)
この言葉は、何の説明の必要もなく、一般的な教訓として、どの世界でも共通するように思います。ことわざにもある通り、「朱に交われば赤くなる」のですから、誰と親しくするかは重要です。ただ問題なのは、「知恵ある者」とは誰なのか、「愚か者」とはどういう人を指しているのか、そこが重要です。
聖書が説く知恵は、聖書の神を畏れることから始まる知恵です。神がいない知恵などありえません。知恵ある者は、この神を畏れる知恵を心に持っている人です。逆に聖書の世界では、「愚か者」とは、「神はいない」と心の中で豪語する人です(詩編14編・口語訳参照)。聖書がいう愚か者の原点は、神を否定するところにあるのです。
ところが残念なことに、現代の常識では、それがひっくり返っています。神がいるなどという人が、愚か者扱いされ、神などいないと豪語する人が、知恵ある者のように扱われています。しかし、そうであるからこそ、この箴言の言葉は、正しい意味で聴かれなければならないのです。
きょうの聖書の言葉「知恵ある者と共に歩けば知恵を得 愚か者と交われば災いに遭う。」旧約聖書箴言13章20節