メッセージ: 願いを打ち明けるエステル(エステル7:1-7)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
最近「あざとい」という言葉をよく耳にします。特に女性を修飾して「あざとい女」という表現が使われています。「あざとい」の本来の意味は、思慮が浅い、小利口という意味で、後に「押しが強くて、やり方が露骨である」という意味に使われるようになりました(広辞苑)。どちらかというといい意味では使われません。
しかし、最近の使われ方、特に「あざとい女」という表現には、計算高くてずる賢いという意味に加えて、とりわけ男性に自分の可愛さをアピールするために計算高くふるまうというニュアンスが含まれるようになりました。同性から見るとそのあざとさは鼻につくかもしれませんが、男性はそのあざとさを好意的に受け止めることもあるようで、「あざとい女 モテる」と検索すると「あざと可愛い」という造語も検索結果に出てくるくらいです。
今学んでいる『エステル記』の主人公エステルは、果たして「あざとい女」なのでしょうか。それは読む人の心がエステルをどう見るかによって評価も違ってくると思いますが、わたしはエステルをあざとい女とするのは正しい評価ではないように思います。エステルは決して自分の可愛さをアピールして計算づくめで自分の思いを実現するようなタイプの女性ではありません。むしろ思慮深く慎重にことを進めるタイプです。いえ、ただ単に慎重なのではなく、神への信仰をもって物事を進めようとする聡明さがあります。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 7章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。この2日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は言った。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」「王よ、もしお心に適いますなら」と王妃エステルは答えた。「もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」クセルクセス王は王妃エステルに、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」と尋ねた。エステルは答えた。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。」ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王による不幸が決定的になった、と分かったからである。
今日の場面は、5章8節に繋がる話です。エステルの願いによって、二度目の酒宴が開かれました。5章8節からの時間の経過をいうと、24時間しかたっていません。
その間、ハマンにとっては、盛りだくさんの事が起こりました。最初の酒宴から上機嫌で帰宅する途中に、モルデカイを見かけ、相変わらず自分に敬意を示さないモルデカイに対して不機嫌な思いで帰宅したハマンでした。そして妻や友人たちのたわごとから出たようなモルデカイ殺害の計画を真に受けて、ハマンはさっそく準備をして王のところに向かいました。
ところが、王はたまたま読んだ宮廷日誌にモルデカイの過去の功績を発見して、これに褒美を与えようとしていたところでした。そうとは知らずに、相談を受けたハマンは、自分への褒美を相談しているものと勘違いして、最高の栄誉を与えることを進言します。しかし、ふたを開けてみると、それは、自分が殺そうとしていたモルデカイに対する褒美でした。しかも、その栄誉ある式典を王命によってハマン自身が執り行わなければなりません。意気消沈して家に戻るハマンに対して、妻や友人たちのかけた言葉は、ハマンをいっそう落胆さる言葉でした。もう、ぼろぼろの気持ちで、今晩再び開かれる王妃エステルの酒宴のことなど忘れかけているくらいでした。せかされて重い足取りで酒宴に向かったハマン、これが今日の場面の背景にある24時間です。
しかし、そうは言っても、この王妃主催の酒宴に赴くことは、ハマンにとっては栄誉なことでした。何せ招待されているのは、自分と王だけだったからです。重い気持ちの中にも、ハマンはこの酒宴に出ることで、少しは気持ちも癒されるかもしれません。
けれども、エステルがハマンを酒宴に同席させたのには、特別な意図がありました。それはハマンがユダヤ人に対して目論んだ計画を王の前に明らかにするためでした。この機会を得るために、エステルは二度にわたって酒宴を設けたのでした。
前回の酒宴で、察しの良いクセルクセス王は、このような酒宴を設けるのには、何か願いがあってのことと思っていました。ですから、王の方から口火を切って、エステルに願いを言わせようとしました。しかし、エステルは願いの告白を先に延ばして、今夜開かれる二度目の宴の席で、それを明らかにすることを約束しました。
王にとっては気がかりな案件です。さっそく王の方から口火を切ります。
「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」
エステルの口から出た言葉は意外な願いでした。
「私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。」
王がエステルに対して「国の半分なりとも与えよう」と言ったのに対して、エステルが答えたのは直訳すれば「わたしの命とわたしの民をわたしにお与えください」というものでした。おそらく、この願いの意味は、王には何のことだかわかりかねたことでしょう。
エステルは言葉を続けます。
「私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」
殺されるために引き渡されようとしていると聞かされた王には、ますます何のことが言いたいのか、頭の中が混乱したことでしょう。混乱する王はエステルに尋ねます。
「それは誰なのか、どこにいるのか、そのような事を心に抱く輩は…」
矢継ぎ早に問いただす王に、エステルは初めてハマンの名を明かします。
ハマンには大きな誤算がありました。ハマンはモルデカイを憎むあまり、モルデカイの周辺にまで思いが回っていませんでした。まさか、王妃がユダヤ人の血筋であるとは思いもよらないことでした。しかし、今となってはすべてが遅すぎました。取りつく島も与えず庭に出てしまった王に対しては、もうなすすべがありません。残されたハマンはエステルに命乞いをするしかありません。
民とともに断食をしてまでこの日のために備えをしたエステルの聡明な信仰深さと、いつも感情に流されて行動に出てしまうハマンの愚かさが対照的に描かれています。あざとさではなく、信仰から出る行動こそが、事態を良い方向へと推し進めて行く力となるのです、いえ、神がそのように信仰者を用いて、救いを実現してくださいます。