メッセージ: 偶然のような発見(エステル6:1-9)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「事実は小説よりも奇なり」ということわざがあります。小説家は自分の思い通りに筋書きを書くことができるわけですから、現実には起こらないような不自然で奇妙な展開であっても、話が面白くて読者の心をとらえれば、それで小説としては十分成り立ちます。
しかし、現実の世界には意図して作られた小説の筋書きよりも、奇妙で不思議な展開になることがあります。
今日取り上げようとしている個所は、まさにそんな不思議な話です。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 6章1節〜9節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持って来させ、読み上げさせた。そこには、王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。そこで王は言った。「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイは受けたのか。」そばに仕える侍従たちは答えた。「何も受けませんでした。」王は言った。「庭に誰がいるのか。」ハマンが王宮の外庭に来ていた。準備した柱にモルデカイをつるすことを、王に進言するためである。侍従たちが、「ハマンが庭に来ています」と言うと、王は、「ここへ通せ」と言った。ハマンが進み出ると、王は、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」と尋ねた。ハマンは、王が栄誉を与えることを望む者は自分以外にあるまいと心に思ったので、王にこう言った。「王が栄誉を与えることをお望みでしたら、王のお召しになる服を持って来させ、お乗りになる馬、頭に王冠を着けた馬を引いて来させるとよいでしょう。それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか。」
今まで学んできた『エステル記』の話の展開は、こうでした。一方でユダヤ人を絶滅しようとするハマンの策略があり、他方ではそれを阻止しようと、その策略に立ち向かう王妃エステルの姿がありました。王妃エステルは慎重に事柄を運ぼうと、神の助けと知恵で勝負に出ます。
しかし、事態は思わぬ展開を迎えます。事の発端は、眠ることができない王でした。眠ることができない夜は、誰にでも経験があることです。暑くて眠ることができない、考え事をし過ぎて眠ることができない、疲れすぎて眠ることができないなどなど、眠れない理由は色々です。
クセルクセス王に眠れない夜があったとしても、そのこと自体は特別なことではありません。この日、特別だったのは、眠れないこの夜に、王宮日誌を持って来させて、読み上げさせたことでした。
王宮日誌がどんな形で保存されていたのかわかりませんが、このとき王はすでに在位12年を過ぎていました(エステル3:7)。ですから、日誌も膨大な量になっていたはずです。それは何巻にもなっていたことでしょう。その中のどれか一つを選んで持ってきたとしても、その1巻の中にも様々な出来事が記されています。つまり、人間的な言い方をすれば、数ある日誌の中から、たまたま一つ持ってきた日誌に記された、ある特定の個所が読まれる確率は、非常に低いということです。
ところが、そんな低い確率の中で、読み上げられたのは、モルデカイの功績に関わる記事でした。かつて王に仕えた二人の宦官が、王に謀反を企てたことがありました。それをモルデカイが事前に察知して、王に告げたために、この謀反の企ては未然に終わったという事件です(エステル記2:19-23)。
その日誌には、モルデカイの功績が報いられたという記録はありません。その時は、モルデカイの功績に報いようと思わなかった王でした。モルデカイもまた、褒美を期待していたわけではないでしょう。王の身に何かが起これば、自分の従姉妹にあたる王妃エステルにも危険が及ぶのですから、謀反の計画が未然に終わっただけで、モルデカイは満足だったはずです。
そんな事件をほとんどの人が忘れかけている中で、その夜の王はこの事件を記した日誌を読み聞かされて、急にモルデカイのことが気になり始めます。報いられなかったモルデカイのことを耳にすると、ますます王はモルデカイに心を向けます。
「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、その出来事を導いておられる神の御手は、それよりはるかに不思議に満ちています。人間には気づかれない神のご計画が、今やだんだんと見えてきます。
これまた折よく、ハマンが王宮の外庭にやってきます。先週取り上げた個所で、ハマンは宿敵モルデカイを文字通り吊るし上げるための計画を立てました。それも、モルデカイを吊るし上げる柱の高さから考えて、とても馬鹿げた計画です。それがまともな考えかどうかの判断もつかないハマンです。
第一、眠れない夜を過ごす王のところへ、時間もお構いなくやってくるくらいですから、ハマンがどれほど正常な判断ができない状態であったかが伺われます。昼間でさえ、王から召しだされるのでなければ、王の所へ行ってはならないと法律で定められています。しかも、その法を破れば、死をもって罰せられることになっていました。もちろん、王が金の笏を差し伸べるなら、その訪問は受け入れられました。言い換えれば、こんな夜更けに王のもとを訪ねたとしても、自分は必ずや許されると思い込んでいるハマンです。自信過剰なのか、自分が見えていないハマンです。
しかし、確かにハマンが確信した通り、ハマンの突然の訪問は、王に待ってましたとばかりに受け入れられます。王には王の事情で、助言を求める必要があったからです。これもまた人間には偶然の不思議な出来事のようにしか思えません。
王はモルデカイの功績に報いるために、ふさわしい案を探し求めていました。やってきたハマンにさっそく意見を求めます。しかも誰に対する処遇かを言わずにです。
「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」
ここでもまた、ハマンは自分に都合がよいように王の質問を曲解してしまいます。これは、自分のことを言っているに違いないと。
そう理解したハマンは、自分に与えられる栄誉を妄想して、最高の待遇を進言します。それはまるで王様本人をお迎えするような待遇です。それを意気揚々と王に語り聞かせるハマンです。おまけに、立派な服装や馬を用意するだけでは物足りず、その栄誉ある姿を都の広場でみんなに公表することまでも望みます。それが、今にも自分の身に起こることだと確信しているハマンですから、語り出したら止まりません。さっきまでモルデカイのことで気分を害していたハマンには、この上ない機会と映ったことでしょう。
しかし、何も知らない裸の王様はハマンその人でした。憎しみと驕りからは、何も善いものは出てきません。いえ、神はハマンの狡猾な悪だくみさえも、神の民の益へと変えることのできるお方です。