聖書を開こう 2021年5月20日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  ジェノサイド計画(エステル3:8-15)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 ジェノサイドという言葉を最近また耳にするようになりました。この言葉が初めて使われたのは、1944年のことで、ユダヤ系のポーランド人法律家ラファエル・レムキンがその著書の中で作り出した言葉です。ギリシア語の「種族」を意味する「ゲノス」とラテン語の「殺戮する」を意味する「カエドー」を組み合わせた造語で、民族の集団殺戮を意味する言葉です。

 言葉としての歴史は浅いですが、それが意味する民族や人種の集団殺戮という行為自体は、古くから存在しました。きょう取り上げようとしている個所にも、ハマンによって計画されたユダヤ人の集団殺戮の話が出てきます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 3章8節〜15節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ハマンはクセルクセス王に言った。「お国のどの州にも、一つの独特な民族がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族のものとも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません。そのままにしておくわけにはまいりません。もし御意にかないますなら、彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう。わたしは銀貨1万キカルを官吏たちに支払い、国庫に納めるようにいたします。」王は指輪をはずし、ユダヤ人の迫害者、アガグ人ハメダタの子ハマンに渡して、言った。「銀貨はお前に任せる。その民族はお前が思うようにしてよい。」こうして第1の月の13日に、王の書記官が召集され、総督、各州の長官、各民族の首長にあてて、ハマンの命ずるがままに勅書が書き記された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、クセルクセス王の名によって書き記され、王の指輪で印を押してあった。急使はこの勅書を全国に送り届け、第12の月、すなわちアダルの月の13日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。この勅書の写しは各州で国の定めとして全国民に公示され、人々はその日に備えた。急使は王の命令を持って急いで出発し、要塞の町スサでもその定めが公布された。スサの都の混乱をよそに、王とハマンは酒を酌み交わしていた。

 前回取り上げた個所には、高位についた大臣ハマンに対してひざまずかなかったモルデカイのことが記されていました。このことを真っ先に問題にしたのは、ハマン本人ではなく、周りにいた役人たちでした。

 役人たちはひざまずかないモルデカイのことをハマンの耳に入れるとき、この問題がモルデカイ個人の問題である前に、ユダヤ人であることが問題であるかのように、ハマンに伝えました。

 偏見というものは、一度植えつけられると、中々それを払拭することができないものです。もちろん、もともと何もないところに偏見を植えつけることは難しいことです。ハマンは日ごろから何かとモルデカイのことを嫌っていたのかもしれません。あるいは、モルデカイ個人のことよりも、ペルシア帝国内に数多くいるユダヤ人を何かと不快に思っていたのかもしれません。

 役人たちの言葉にまんまと乗せられたハマンは、ユダヤ民族を撲滅しようとさえ思うようになりました。王に相談するよりも前に、ハマンは早々とくじで神意を訪ねることさえしました。そこまでの話を前回学びました。

 ハマンがクセルクセス王にこの計画を告げる時には、ハマンの中ではこの計画の正当性がほとんど確信に近いものとなっていたことでしょう。何よりも事前にくじによって神に実行の日取りまで尋ねていたのですから、ハマンにとっては、王がこれに反対するなどとは少しも疑わなかったはずです。

 もちろん、ハマンがくじによって尋ねたのは、まことの神の御心ではありませんでした。当然、くじの結果はハマンの計画を正当化するものではありません。しかし、ここまできたハマンにはもう自分の行動を思い返すことなどできません。自分を高い位につけたのはクセルクセス王なのですから、自分の願いは必ず聞き届けられるという思い上がりも手伝って、何の躊躇もなく王の前で自分の計画をとうとうと述べるハマンです。

 「お国のどの州にも、一つの独特な民族がおります。諸民族の間に分散して住み、彼らはどの民族のものとも異なる独自の法律を有し、王の法律には従いません。そのままにしておくわけにはまいりません。もし御意にかないますなら、彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう。わたしは銀貨1万キカルを官吏たちに支払い、国庫に納めるようにいたします。」

 ハマンの言葉はとても巧妙です。ハマンはユダヤ人を名指ししません。「一つの独特な民族」とあいまいな言い方をします。しかし、この独特な民族が、ペルシア帝国にとって百害あって一利もないことをしっかり強調します。

 その民族がユダヤ人であることを王にあえて語らなかったのは、ハマンの悪知恵でしょう。たとえ王が、モルデカイや自分の王妃がユダヤ人であることを知らないとしても、どこでどうユダヤ人と王が関わっているかわかりません。あらゆる可能性を考慮して、ハマンはあえてユダヤ人を名指ししなかったのでしょう。

 この民族が厄介なのは、どの民族とも異なる独自の法律を持っていること、そして、王の命令に従わないという点をハマンは強調します。嘘とほんとうをないまぜにして王の猜疑心を煽っています。

 確かに、ユダヤ民族がどの民族とも異なる独自の法律を持っていることは真実です。しかし、王の命令にことごとく従わないわけではありません。モルデカイが自分に対してひざまずかなかったことを、あたかもユダヤ人全体が王の命令にことごとく背いているような言い方をしています。人間というのは、嘘とほんとうがごちゃ混ぜになっている情報には弱いものです。

 クセルクセス王自身も、帝国内には様々な民族が独自の習慣で暮らしていることは、ハマンに言われるまでもなく承知していたことです。しかし、ハマンの述べることの半分が真実であるために、王はハマンの発言の残りの半分も真実だろうと思い込まされてしまいました。こうして、異なる法律を持った民族が今にも反乱を起しそうなイメージをハマンは王にしっかりと植えつけました。

 さらにハマンはこの計画がもたらす経済的な効果まで口にします。銀貨1万キカルが国庫に納められるという話です。銀貨1万キカルとはおよそ銀342トンに当たります。しかも、その財源は言うまでもなくユダヤ人から没収した財産です。

 こうして王は何のためらいもなくハマンの計画に同意して、国璽である指輪をハマンに渡し、ハマンの思い通りに勅書を作成させます。そして作成された勅書はすぐさま全国民に知らされます。

 1民族の命がかかっている問題を、こんなにも簡単に決めてしまうこと自体、異常な出来事と言わざるを得ません。しかも、この勅書のために巷では混乱が起こっているにもかかわらず、「王とハマンは酒を酌み交わしていた」と結ばれます。こんなにも人の命が軽く扱われていることに憤りさえ感じます。

 いったい神は何をしておられるのか、といぶかしく思われるかもしれません。沈黙を保っておられるように思える出来事の中に、実は神が豊かに働いてくださっています。これは聖書を読むときに、いえ、私たちの人生を見るときに大切な視点です。

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