メッセージ: モルデカイが手にしたチャンス(エステル2:19-23)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
以前、古代の人々の平均寿命はどれくらいなのか、ということを調べたことがありました。結論から先に言うと、戸籍のない古代社会の庶民の平均寿命を知ることは、ほとんど不可能であるということでした。たまたま墓所から発見された骨から、亡くなった時の年齢を推測することがやっとだそうです。
確かに王のような立場であれば、年代記から何歳で亡くなったのかを知ることができます。しかし、王は庶民と違って栄養事情が良いため、平民と比べれば長生きであっただろうと推測されています。しかし、その反対に王は謀反によって殺される可能性が一般庶民よりも高いので、若くして亡くなるということもあったようです。
きょう取り上げようとしている個所にも、謀反の話が出てきます。その謀反は未遂に終わり、王の命は助かりますが、反対に謀反を企てた者たちが処刑されてしまいます。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 2章19節〜23節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
再び若い娘が集められた時のことである。モルデカイは王宮の門に座っていた。エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かすことをしなかった。モルデカイに養われていたときと同様、その言葉に従っていた。さてそのころ、モルデカイが王宮の門に座っていると、王の私室の番人である二人の宦官ビグタンとテレシュが何事かに憤慨し、クセルクセス王を倒そうと謀っていた。それを知ったモルデカイは王妃エステルに知らせたので、彼女はモルデカイの名でこれを王に告げた。早速この件は捜査されて明らかにされ、二人は木につるされて処刑された。この事件は王の前で宮廷日誌に記入された。
前回の学びでは、エステルがワシュティに代わる王妃として選ばれたいきさつを学びました。エステルがクセルクセス王の前に召しだされたのは、王の治世第7年の10の月と正確な年代が記されていますが、エステルが王妃となったのがその同じ年の同じ月の出来事であったかどうかは定かではありません。
そして今日の個所の冒頭では、「再び若い娘が集められた時のことである」と始まります。エステルが王妃と決定されたあとの出来事ですから、娘たちが集められた理由はまったくわかりません。王の気まぐれなのか、それとも王の権力と繁栄を見せつけるための儀式でもあったのか、その理由はともあれ、そのとき、王宮の門にモルデカイが座っていたということが記されます。
モルデカイはエステルと同じユダヤ人であり、エステルとは従弟同士の関係にあり、しかも両親を亡くしたエステルの育ての親でもありました(エステル2:5-7)。そのモルデカイが王宮の門のところに座っていることができたというのは、そもそもモルデカイが王宮での何らかの役割を担う立場にいた人間であったということを暗示しています。
すでに前にもこのことは指摘しましたが、かつてエステルが王妃の候補者として召し集められたときにも、モルデカイはエステルの安否を気遣って、後宮の庭に出入りしていました(エステル2:11)。そのときからすでにモルデカイは一般人には立ち入ることができない場所に出入りできる身分であったということです。
このようなモルデカイの自由な行動は、けっして王妃となったエステルが便宜を諮ったというものではありませんでした。エステルはモルデカイの言いつけを守って、自分がユダヤ人であることはおろか、親元すら明かすことはなく、秘密を守ってきました。このことは後宮に入る前から、モルデカイに養われていたときから守ってきたことでした。ですから、おそらくモルデカイは以前から出入りを許された、ペルシア帝国の中でそれなりの地位を持っていた人であるということが伺われます。
エステルが自分の民族的な背景や家系について王や周りの側近たちに明かさなかったことは、モルデカイにとって良い方向に物事を進ませたといってもよいでしょう。
このあとモルデカイは、王に仕える二人の宦官、ビクタンとテレシュの陰謀を耳にします。いったいこの二人に何があったのかはわかりませんが、何かに憤慨して王を倒そうとたくらみます。もしこの時点で、エステルもモルデカイもユダヤ人であることが知れ渡っていて、しかも二人がいとこ同士であることが王の耳に入っていたとしたら、これからモルデカイが王に密告しようとしたことの信憑性が最初から疑われてしまったかもしれません。モルデカイの周到な助言と、その助言を守り通したエステルの賢明さは、この出来事に実を結んだといっても良いでしょう。
陰謀を耳にしたモルデカイは、すぐさまエステルの口を通して、このことを王の耳に届けます。陰謀をたくらんだ二人の宦官たちの憤慨は、この際、少しも考慮されてはいません。二人から恨みを買う王の側にも非があったのかもしれません。しかし、モルデカイにとっては二つの理由でこのことは王に告げ知らせるべきことでした。
第一に、理由はどうあれ、謀反を起すこと、それ自体がモルデカイが信じる神にとって悪だったからです。かつてイスラエスの王サウルに仕えたダビデは、たとえ王に非があったとしても神が立てた王に従い尽くしました(サムエル上24:6)。モルデカイもそういう聖書の前例を耳にしていたはずです。
二人の陰謀は、言論によって王を倒すという穏やかなものではなく、文字通り王を暴力で倒すということでしょう。端的に言えば、王を暗殺する計画です。それを知りながら黙って見過ごすことはモルデカイにはできませんでした。
第二に、王に謀反者の手が及べば、当然、王妃の命にも関わってきます。賢いモルデカイであれば、彼らの謀反の企てを耳にしたときに、即座にエステルの身に危険が及ぶことを悟ったことでしょう。まして、謀反を企てた二人が、かつての王妃ワシュティとどこかでつながっていたとしたら、もっと危険なことがおこりかねません。最悪の状況を想定して、モルデカイは娘のように育てたエステルを直感的に守りたいと思ったはずです。
このモルデカイの機転で、そして普段から自分の身上のあれこれを軽率に語らなかったエステルの従順さも功を奏して、陰謀を企てた二人は取り調べを受けて処刑されてしまいます。
さて、話の流れからすれば、ここで王の身を助けたモルデカイの功績が称えられられ、何がしかの報いがあっても良かったかもしれません。しかし、特別な勲章をいただくわけでもなく、ただ、事件の記録が宮廷の日誌に記録されるだけで事件は終わりました。
もちろん、モルデカイにとっては王からの報酬よりも、エステルの命が守られたことが一番の喜びだったことでしょう。この後、しばらくこの事件は王の記憶からも消えていってしまいます。後にクセルクセス王が眠れない夜にこの宮廷日誌を読み返すまで、顧みられることはありませんでした。しかし、このこともまた、神の密かな計らいであったと、読者に悟らせるのが『エステル記』です。人の目には点と点で終わっているように見える出来事も、神は見事に点と点を結び合わせて意味ある未来を導いてくださいます。