メッセージ: 王妃選定の計画とエステル(エステル2:1-11)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
どの時代のどの王国でもそうですが、お妃候補を決めることはそう簡単なことではありません。
こんなことを言っては、差別主義者だと非難されるかもしれませんが、「美しさ」は必須の条件であるように思います。もちろん、美しさというのは、容姿端麗という意味ばかりではありません。立ち振る舞いの美しさ、語る言葉の美しさ、品性の美しさなど、総合的な美しさです。しかし、その中で、容姿の美しさの占める割合が、他の美しさよりも優先度が低いかといえば、必ずしもそうではないように思います。
きょう取り上げる個所には、「美しい」おとめたちを新しい王妃の候補者として探させようとする話が出てきます。それも容姿の美しさが第一の条件のようです。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 2章1節〜11節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
その後、怒りの治まったクセルクセス王は、ワシュティとそのふるまい、彼女に下した決定を口にするようになった。王に仕える侍従たちは言った。「王のために美しいおとめを探させてはいかがでしょうか。全国各州に特使を送り、美しいおとめを1人残らず要塞の町スサの後宮に集め、後宮の監督、宦官ヘガイに託し、容姿を美しくさせるのです。御目にかなう娘がいれば、ワシュティに代わる王妃になさってはいかがでしょうか。」これは王の意にかない、王はそうすることにした。要塞の町スサに1人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属していた。キシュは、バビロン王ネブカドネツァルによって、ユダ王エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が要塞の町スサのヘガイのもとに集められた。エステルも王宮に連れて来られ、後宮の監督ヘガイに託された。彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官7人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた。
ワシュティが王妃の地位から退けられ、王の怒りも治まったところから、きょうの話は始まります。宴会が開かれたのがクセルクセス王の治世第3年の出来事で(エステル1:3)、エステルが王宮のクセルクセス王のもとに連れていかれたのが治世の第7年の10月のことですから(エステル2:16)、「その後」というのは、その間のどこかの時点です。
ちなみに、その間に起こった大きな出来事は、ギリシア遠征に出かけ大敗してしまったことです。「その後」という表現が、ワシュティを退け、勅令を発布した直後という意味なのか、それとも、ギリシア遠征で大敗した後のことなのかによって、そこに記されている王のふるまいをどう理解するのかに、大きな影響が出ます。
ギリシア遠征で大きな痛手を負った後の出来事だとすれば、王の深い悲しみと、それをそばで寄り添って支える者がいない寂しさが、王のこの態度に表れているということでしょう。ギリシア遠征の失敗とワシュティに対してとった処遇とは、何の因果関係もないことですが、しかし、気持ちが弱っている時に、人はしばしば、過去に自分のしたことが因果して、現在の悪い結果を招いたのだと、口にするようになるものです。
そんな王の弱気な言葉を毎日のように聞かされる家臣たちは、何とかして王の気持ちをなだめようと、新しい提案をします。それは、王のために美しいおとめを探させ、ワシュティに代わる王妃とさせることでした。
この場合、家臣たちの言う「美しさ」というのは容姿の美しさが第一でした。かつての王妃ワシュティが美しい人で、その美しさを宴会の席で来客たちに見せようとしたことが事の始まりでしたから、誰が見ても、ワシュティ以上の見目麗しさが求められたのには、それなりの理由がありました。
こうして始まった新しいお妃探しの候補者たちが、王宮のある町スサに集められられることになりました。その中に『エステル記』の主人公となるエステルが登場します。エステルはヘブライ語の名前を「ハダサ」と言い、幼いころ両親を失ったため、従弟のモルデカイが彼女の後継人となって娘として育てられました。
ちなみに、最近はやりの「エステ」とか「エスティック」という言葉は、このエステルという人名がその語源です。
さて、ここでまた『エステル記』の読者たちは、新たな疑問を抱くかもしれません。エステルはどうやって候補者の1人として王宮に来るようになったのでしょうか。お妃候補を探す役人たちに美しさを買われて、半ば無理やり連れて来れられたのでしょうか。そうだとすると、それはエステルの意に反することであったかもしれません。王宮に入って政治の世界に巻き込まれるよりは、従弟のモルデカイのもとで小さな幸せを楽しむことが、エステルの望みであったかもしれません。
あるいは、モルデカイがエステルを推薦して、王宮に入るようにしたのでしょうか。そうであるとすると、モルデカイの真の動機がどこにあるのか、興味をそそる話です。純粋にエステルの幸せを願った善意の話とも受け取れますが、反対にエステルを差し出すことで、自分の地位をよりよくしようと、下心があったのかもしれません。そんな読み方をしたら、『エステル記』の品位がなくなると叱られてしまうかもしれません。
けれども、聖書は、人間をいつも善意の持ち主であるとは描きません。どんな信仰者にも弱さがあり、罪があることを率直に認めています。決して人間を美化したりはしません。
ただ、エステルがどういう経緯でお妃候補として王宮に来るようになったのかは、聖書にはハッキリと記されてはいません。それが人間の善意からであれ、思惑からであれ、『エステル記』にはそれが神の導きであったという直接的な表現もないままに、話が展開していきます。それはこの書を読む人の信仰が試されているとも言えます。
エステルを王宮に送り出したモルデカイの行動できょうの個所は締めくくられています。「モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた」と記されます。
ここには二つの注目すべきことがあります。毎日王宮の庭に出入りすることができたのですから、モルデカイ自身がただの平民ではなかったということがわかります。もう一つは、エステルの安否を気遣っていたということです。それは、自分の娘のように育てたエステルへの個人的な愛情もありますが、ユダヤ人であるエステルを含め、異教の地に生きるユダヤ民族としての平安の先行きを案じていたとも理解できます。後に神はモルデカイが期待していた以上の平安をペルシアに生きるユダヤ人にお与えくださいます。
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