メッセージ: クセルクセス王の華麗な宴会(エステル1:1-9)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「見えざる神の御手」という表現があります。世界の歴史の流れや一人の人生に至るまで、その背後にあって働いておられる神の不思議な導きをそう表現します。
キリスト教の専門用語ではそれを「摂理」と呼んでいます。神は万物を創造された後、世界を成り行きに任せられたのではなく、ご自身の意志をもって今も導いてくださっているという信仰です。
きょうから取り上げる『エステル記』は、民族の危機に直面する中で、神が見えない御手をもってユダヤ人たちを救いに導いてくださったことを証しする書物です。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 1章1節〜9節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスは、インドからクシュに至るまで127州の支配者であった。そのころ、クセルクセス王は要塞の町スサで王位につき、その治世の第3年に、酒宴を催し、大臣、家臣のことごとく、ペルシアとメディアの軍人、貴族および諸州の高官たちを招いた。こうして王は、180日の長期にわたって自分の国がどれほど富み栄え、その威力がどれほど貴く輝かしいものであるかを示した。それが終わると、王は7日間、酒宴を王宮の庭園で催し、要塞の町スサに住む者を皆、身分の上下を問わず招いた。大理石の柱から柱へと紅白の組みひもが張り渡され、そこに純白の亜麻布、みごとな綿織物、紫の幔幕が一連の銀の輪によって掛けられていた。また、緑や白の大理石、真珠貝や黒曜石を使ったモザイクの床には、金や銀の長いすが並べられていた。酒を供するための金の杯は一つ一つ趣を異にし、王室用のぶどう酒が、王の寛大さを示すにふさわしく、惜しげもなく振る舞われた。しかし、定めによって酒を飲むことは強いられてはいなかった。王の命令によって給仕長たちは、人々に思いどおりにさせていたからである。王妃ワシュティもクセルクセス王の宮殿で女のための酒宴を催していた。
きょうから取り上げる『エステル記』は、女性が主人公として描かれる書物です。聖書の中では女性を主人公とした書物は、ほかに『ルツ記』があるくらいです。そして、この『エステル記』には、神が登場しません。同じく神の名が記されない書物は、ほかに『雅歌』があるくらいです。したがって『エステル記』は二重の意味で珍しい書物ということができます。
さきほどお読みした個所は『エステル記』の冒頭部分ですが、そこにはユダヤ人の名前すら、まだ登場しません。『エステル記』がどんな時代の話なのか、そのことが淡々と書き記されています。
冒頭に登場するクセルクセスは、アケメネス朝ペルシアの王、クセルクセス一世のことです。ヘブライ語の聖書ではアハシュエロスと記されていますので、翻訳聖書によっては、そのままの音訳を用いて「アハシュエロス」と記しているものもあります。クセルクセスもアハシュエロスも、ペルシア語の発音からはほど遠いものですが、現在の歴史書ではギリシア語風の発音に倣って「クセルクセス」を用いています。
クセルクセス一世は、ダレイオス一世の息子で紀元前486年から465年にかけて、およそ20年間にわたって世を治めました。高校生時代に世界史を学んだ人にとっては、クセルクセス一世の名前は、サラミスの海戦でギリシア連合軍に負けたペルシア王として記憶に残っているのではないかと思います。
旧約聖書の大きな歴史の流れからいうと、南ユダ王国がバビロニア帝国によって滅ぼされ、主だった人々がバビロンに捕囚の民として連れ去られた時代がありました。紀元前6世紀初頭の頃の出来事です。その後、バビロニア帝国がアケメネス朝ペルシアのキュロス二世によって滅ぼされ、バビロンに捕囚の民となっていたユダヤ人たちがエルサレムに帰還して、神殿の再建が始まります。『エステル記』が扱うクセルクセス一世の時代は、バビロン捕囚の解放からおよそ50年経った時代の話です。神殿再建に反対する周辺住民の抵抗に直面していた時代の話です。
ここでちょっと疑問に思うかもしれませんが、『エステル記』の話の舞台となっているのは、ペルシアの都スサです。バビロン捕囚と聞くとユダヤ人たちが皆バビロニアの首都バビロンに連れていかれ、そこから解放されたように思ってしまいがちです。しかし実際は国を失ったユダヤ人たちは各地へと散らされていきました。『エステル記』の舞台となるスサにも多くのユダヤ人たちが住んでいました。そして、キュロス王によるユダヤ人たちの解放後も、散らされていった場所に住み続けるユダヤ人たちが大勢いたということです。実際、二代、三代にわたって住みついてしまえば、そこが生活の拠点となるのは当然の流れです。そういう歴史的な背景を頭の片隅に置きながら、『エステル記』を読み進めていくことにします。
話を元に戻しますが、クセルクセス一世が支配した地域は東はインダス川流域から西はナイル川の流域にまで達し、127の州の支配者であったと描かれています。この強大な王の治世の第3年に設けられた盛大な酒宴からこの物語は始まります。時代的にはギリシア遠征を控えていた頃の話です。
180日にも及ぶ酒の席は、各州の要人たちを入れ替わり立ち代わり招いて行われたものと思われます。おそらく遠征を前に、各州の協力を得るための工作であったかもしれません。この宴会を通して、招かれた人々の目に映ったのは、王が治める国が、どれほど富み栄え、その威力がどれほど輝かしいものであるか、ということでした。それはまた無言の圧力ともなりました。圧倒的な王の力を見せつけるには十分だったでしょう。180日間にわたる宴会に、惜しみなくお金を使う王は、寛大であるというよりも、その裏に隠れた意図が見え隠れするように思えます。
それが終わると、酒宴はさらに別の7日間、催されます。今度はスサの住民の、身分の上下を問わず招いた酒の席です。その宴の会場の様子は、まるでそこに招かれた一人が、目を見張るばかりの驚きで書き写してきたかのように生き生きと描かれています。どれもこれも下々の者たちには縁のない、素材と技巧を組みわせた一流品だったことでしょう。王室用のぶどう酒がふるまわれるにもかかわらず、決して飲むことが強要されなかったことは、諸民族の習わしに寛容であった王の政治的 姿勢が表れています。
さらには王妃ワシュティもまた宮殿で女性たちのための宴会を催していました。
ここに描かれているは、まさに広大なオリエントの世界を支配する偉大な王の姿です。まるでまことの神など存在しないかのような世界です。『エステル記』が神について沈黙を保っている分、読者に神を見る目が求められます。
実際私たちが生きている世界もまさにこれと同じです。強大な権力者が世界を支配し、その世界に神はいちいちご自分の存在を表したりはしません。だから神はいないのではなく、そこに神の見えない御手を見る信仰が、今を生きる私たちに求められているのです。
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