ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
古代ローマ法には、握手行為と呼ばれる制度がありました。これは奴隷や家畜などの売買の際に、所有権が買い手に移ったことを示す行為でした。そのために5人以上のローマ市民が証人として必要でした。
きょう取り上げようとしている箇所には、古代イスラエルの法的な手続きが登場します。「親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡す」という認証手続きが必要でした。そのためには10名の長老たちの証人の前で、履物を脱いで渡すという行為が必要でした。
作法は違っていても、共通するのは、証人たちを前に特定の所作を行うということです。本来、人間が自分の約束に忠実であれば、こんな行為も証人も必要としなかったでしょうが、罪ある人間社会にはそうした手続きはどうしても必要です。
もっとも、このような制度が生まれるのは、人間が誠実ではないからという理由だけではありません。第三者に対して、自分の権利を守るという意味でも大切な行為でした。
きょう取り上げようとする個所で、ボアズはナオミやルツを守るために、法的な手続きを怠りなく果たしていきます。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ルツ記 4章1節〜8節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
前回取り上げた個所で、ボアズはルツに対して、「心配しなくていい。きっと、あなたが言うとおりにします」(ルツ3:11)と約束しました。またルツからその報告を聞いたナオミも、「あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう」(ルツ3:18)と語って、ボアズが遅れることなくその約束を果たしてくれることを確信していました。ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座った。ボアズは町の長老のうちから十人を選び、ここに座ってくださいと頼んだので、彼らも座った。ボアズはその親戚の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから。」「それではわたしがその責任を果たしましょう」と彼が言うと、ボアズは続けた。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」すると親戚の人は言った。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。」かつてイスラエルでは、親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すことになっていた。これが、イスラエルにおける認証の手続きであった。その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。