【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市上町4丁目にあります、日本キリスト改革派高知教会の小澤寿輔です。ラジオを聴いている皆さんと久し振りに聖書の言葉に聴くことができ、とても嬉しく思います。
今朝はぜひ皆さんに、自問し続けていただきたいことがあります。それは「自分はどこへ向かって生きるか」ということです。本当にあったお話を紹介します。昔、ある学生に、老人がたずねました。
老人:君はどんな人生を歩みたいのかね?
学生:まず法律大学を卒業します。
老人:すごいね。そしてその後は?
学生:弁護士になります。
老人:さすがだね。そしてその後は?
学生:お金をもうけます。
老人:うんうん。そしてその後は?
学生:家を建てます。
老人:そうだね。そしてその後は?
学生:車を買います。
老人:いいね。そしてその後は?
学生:きっと結婚をするでしょう。
老人:おーいいね。そしてその後は?
学生:子供を産んで育てます。
老人:それもいいね。そしてその後は?
学生:ん〜、年をとるでしょう。
老人:そうだね、私のようにね。そしてその後は?
学生:…(沈黙)
若い学生は答えることができず、心の中で考えました。「いつか僕は息を引き取るだろう。そして僕の葬式が行われ、僕のお墓が建つだろう。それからは…」何も答えられないその学生に、老人は言いました。「その後は裁きです。その後は永遠です。イエス・キリストのうちには永遠の命があり、イエス・キリスト以外には永遠の滅びがあるのです!」
その声はとても優しかったけれど、学生は、心に刺し込むような老人の言葉を忘れることができませんでした。「その後は永遠です」という言葉によって、彼は苦しみました。そして彼は、法律大学から別の大学に転校することを決心しました。そこで聖書の勉強をして、彼は素晴らしい牧師になったそうです。
この学生は、老人に会うまではある方向に生きていました。それは自分のためだけに生きる道です。その人生の行きつく先は、永遠の滅びだと老人は言いました。彼はイエス・キリストと共に歩む決心をしました。そのとき生きる方向が正されて、永遠の命に行きつく人生を歩むようになりました。
詩編90編も、その老人と同じように、正しい方に向かって生きることを教えています。10節に次のようにあります。「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」
人間は永遠に生きることはできません。誰も死ぬことを避けることはできません。しかしそれに抗って、なるべく長く生きることを願いました。そして人間は、病気を治す医療技術を発展させたり、薬を開発したりすることで、平均寿命を長くすることに成功しました。それはとても感謝なことです。しかし今朝の詩編の御言葉に、人生の年月は「70年」とか「80年」とありますが、私たちはただ長生きできればそれでよいのでしょうか。本当に大切なのは、生きられる年数が長いことではなくて、限りある人生を「どこに向かって生きるか」「どのように生きるか」ということではないでしょうか。
詩編90編を書いた詩人は、自分が正しい方に向かって生きられるように、神様にお祈りしています。12節「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」では私たちは、どうすれば正しい方を向いて生きることができるのでしょうか。
二つのことを覚えましょう。一つは、自分の生涯がすべて神様の手の中にあることを認めることです。私たちの人生は、実は神様のものなのです。「これをしたい」「あれをしたい」と自分中心に考えるのではなくて、新約聖書のヤコブの手紙4章15節にあるように、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と考える生き方が大切です。
もう一つは、今日も生かされていることを神様に感謝して、今という時を大切に生きることです。それは「私を生かしてくださっているのは神様なのだから、今日も神様に喜ばれることをしよう」と考える生き方です。そのようにして神様と共に、神様中心に生きるとき、たとえ寿命が短かったとしても、それは神様に喜ばれる人生になるのです。そしてそれは、自分にとっても幸福な人生になるのです。
人は皆、どこかへ向かって歩んでいます。そしていつかはその終わりにたどりつきます。そのとき神様に「よくやったね」と言っていただけたら嬉しいですよね。私たち皆が、神様に喜ばれる人生を歩んで行けることを祈り願います。