キリストへの時間 2021年5月30日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 確かな希望に生きる

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 私の住んでいる松山市は、温泉と俳句の町として有名です。俳人正岡子規にまつわる記念館や句碑などがあちらこちらにあって、「街歩き」をしながら時折立ち止まって俳人の句に目を留めたり、自分が作った俳句を投函できるポストが主な駅や電車の中にも設置されているのも醍醐味の一つです。

 私も松山市に住むようになって、毎朝生活習慣病予防のために道後温泉界隈を散歩し、かつて夏目漱石と正岡子規が足繁く通っていたという道後温泉本館の近くの高級温泉旅館が無料で提供している足湯に浸かってくることを日課にしていました。「子規記念館」近くの湯築城跡公園の中は、たくさんの木々や花が植えられており、四季折々の花を楽しむことができます。見事な梅の木、桜並木が数十メートルにわたって続いています。

 春には歩いて花見ができます。秋になると葉が落ちて、冬の間は毎日眺めていても、何の変哲もなく、むしろ殺風景な感さえします。しかしまた春が近づき啓蟄を迎えると、どこからともなく虫が這い出てくるだけでなく木々も芽吹いて、また美しい花を咲かせてくれます。寒い冬の間枯れていたように見えた木々も実は、じっと幹と枝の中に十分な栄養を吸収し蓄えて、花を咲かせる春に備えているのです。そして時がくると一斉に、待ってましたとばかりに誇らしげに花をつけるのです。

 私たちの人生もある種、これと似たようなものでしょうか。人生にも幼年期、青春期、壮年期、晩冬期といった季節があるのです。神は、神の御子イエス・キリストを信じる者には、最終的に天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産、すなわち永遠の命と天の御国を受け継ぐものとしてくださると約束してくださっています(1ペトロ1:4参照)。しかしこの恵みをいただくために、私たちはこの地上にあって人生の四季を生き、その中で様々な嵐や風雪に耐え、艱難、試練の中にあって、呻き、苦しみを経験します。

 昨年より流行し始め、世界的なパンデミックをもたらした新型コロナウイルスの感染拡大などは、私たちにとって未曾有の経験です。それは最終的な祝福と恵みに与るための、いわば産みの苦しみともいえるものです。試練、艱難といえば、できることなら避けて通りたい、楽な人生を歩みたいと思うのが人情です。

 しかし聖書は、私たちの人生において体験する試練は、私たちが神への希望と信頼を持つための一つの精錬の過程であると教えています。それは丁度、鉱石を高温の炉に投げ入れて、様々な混じりけや不純物を取り除いて、より純度の高い上質の金属を作り出していくさまと同じなのです。私たちにとって高温の火は、時には火傷のような痛手を与えるかもしれません。それでも、むしろその中でこそ、私たちの神に対する信仰が試され、平穏な時にはあまり意識することのなかった神の存在をこれまで以上に覚えることができるのです。

 気づかなかった多くのことに気づき、おのずと神に感謝し、賛美せざるをえなくなることもあるのではないでしょうか。そうだとするなら、私たちは苦難や試練の中にあっても、なお、希望と喜びをもつことができるのではないでしょうか。イエス・キリストにある信仰によって神の栄光に与れるということを希望して待ち望めるのです。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3-4)イエス・キリストへの信仰と希望は、決して私たちを欺くことはないのです。



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